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BRM P207B

78年シーズンのブリティッシュ・レーシング・モータースは英国内のローカルシリーズであるオーロラAFXチャンピオンシップに参戦していたが、使用するP207は77年からほとんど開発が止まっており、その戦闘力はかなり厳しいものだった。そこでBRMではマシンに改良を施そうとしていたようなのだが、詳しい状況はいまひとつはっきりしない。



シーズン終盤戦と思われる画像。P207は本来モノコックの外側にカウルを被せることでマシンの外形を整えている構造をしていたが、これは明らかに重量の増加を招いていた。そこでチームはP207を軽量化することとしたが、このマシンがいつ頃投入されたのかは不明確だ。アウターカウルを外してモノコックが露出したことから、コクピットの横が外側に向けて傾斜するラインになった。またラジエター周りは完全にカウルを取り払い、フェアリングを新造したようだ。エンジンカウルも後部を切り欠いている。また、リアビューミラーも砲弾型に交換された。それ以外はP207と同じように見える。エンジンもアップデートはなされておらず、従来と同じBRM P202を搭載したものと思われる。
ドライバーはテディ・ピレットである。



同じく不明な画像。モノコック側面にはオーロラAFXシリーズのステッカーがあるので78年後半戦から79年にかけてと思われるが、コクピットカウル形状は前方が手を加えられており、ノーズ上面の膨らみも消えている。このため一見してP207とは思えないような形態になっているのだが、この仕様が見受けられる画像は他に無い。81年のスネッタートンでの画像とされているが、ドライバーはピレットのようで詳細不明である。




78年シーズンはオーロラAFX選手権に参戦したものの、低迷してシーズンを終えたブリティッシュ・レーシング・モータース。79年も引き続きオーロラAFX選手権にエントリーする計画を立て、マシンの開発に臨んだ。ただしスポンサーが無いため、その活動はかなり厳しいものになりそうだった。



79年シーズン前のテスト。BRMはニール・ベトリッジを起用してテストを行った。マシンはP207を軽量化したP207Bである。この年ベトリッジはニューマシンP230のシェイクダウンも担当し、79年シーズンの正ドライバーに決まっていたようであった。
だがBRMは資金が枯渇し、オーロラAFX選手権に参戦することができずに活動を終える。チームがようやく製作したP230はデビッド・ヘプワースに売却されたが、それ以外のマシンと機材はチームの出資者だったジョン・ジョーダンが入手することになった。まだBRMは死んでいなかったのである。





ブリティッシュ・レーシング・モータースを率いていたルイス・スタンレーからF1マシンや部品などを購入したジョン・ジョーダンであったが、彼はチームを組織すると80年のオーロラAFXチャンピオンシップに参戦することとした。車体は濃紺と白に塗られ、コクピット側面にはジョーダンBRMの文字が入れられる。
ドライバーはトニー・トリマーを新たに起用した。



マロリーパークで開催されたサン・トロフィー。予選は12位と後方だった。軽量化したとはいえP207Bは重量が重い車だったので、F2マシンのシェブロンB42やB48にも負けてしまっていた。レースは14週目にギアセレクターの部品が壊れてリタイヤ。



スラックストンでのレースだが、この年はリベット・サプライ・トロフィーとラジオ・ヴィクトリー・トロフィーの2戦が開催されており不明。
80年は5戦に参戦したチームだったが、マシントラブルが多く完走は一度もできなかった。予選最高位は第5戦リベット・サプライ・トロフィーの9位であった。






引き続き英国内のローカルレースに参戦していたジョーダンBRM。81年はオーロラ社がスポンサーを降りたためにオーロラAFX選手権は開催されず、単独のレースが開催されていたようだ。
ドライバーは引き続きトニー・トリマーだが、カラーリングは新たにモノコック側面が白に塗られた。またタイヤはエイヴォンを使用したため、リアタイヤが小径化されている。おそらくリアサスペンションもタイヤに合わせたセッティングがなされているだろう。



この頃の詳細なレース結果は不明である。






82年はローカルレースの開催も下火となっており、その開催数は少なかったようだ。ジョーダンBRMは3戦にエントリーしている。
ドライバーは新たにデビッド・ウィリアムズを起用した。車体は見ての通り、相変わらずのノースポンサーである。画像はブランズハッチで開催されたカリビアン・エアウェイズ・トロフィーでのP207B。出走僅か6台のレースで予選5位からスタートしたウィリアムズは最下位の5位でレースを終えた。
こうしてジョーダンの手でローカルレースでの活動を続けたBRMだったが、82年を最後にその活動を終える。BRMは英国の威信をモータースポーツ界に示すべく設立されたコンストラクターであったが、母国の産業の衰退と歩調を揃えるようにその力を失い続け、最後は一プライベーターの活動にまで縮小して力尽きたのであった。ここでBRMのF1活動の歴史は完全に終焉を迎え、その名前は過去の物となったのである。






近年ヒストリックレースにはよく出没していたP207だが、よく見ればカウルが無い「P207B」である。カラーリングはスタンレーBRM時代のものに塗り直されている。



P207Bは1台がP207から改修された。
P207B-02はP207から改修された。80年は参戦した全てのレースでトリマーが使用した。
81年もおそらくトリマーが使用し、82年はウィリアムズが使用している。
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  1. 2014/09/07(日) 03:23:13|
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