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BRM P207


76年のブリティッシュ・レーシング・モータースは75年から続いた資金不足がひどく、全くスポンサーがつかない状況だった。そのため開幕戦を走ったのみで資金が枯渇し、以後のレースを全てキャンセルしてシリーズから撤退するという決断をチームオーナーのルイス・スタンレーは下したのである。だがスタンレーはF1活動を諦めていたわけではなく、77年シーズンに再びBRMのエントリーを行うことを決めて準備を行っていた。
チームは68年にP126の設計を依頼し、76年にはロータス77の改良を手がけたデザイナーのレン・テリーにマシンの設計を依頼した。またエンジン開発にはウェスレイク・リサーチからオーブリー・ウッズが戻り、新型の設計を行うことになった。



77年シーズンに向けてBRMが開発したのがこのP207である。華々しいローンチからも、F1再挑戦にかけるBRMの、そしてスタンレーの意気込みが伺える。



前述の通りデザインはテリーが手がけた。マシンのスタイルはフェラーリに類似しており、比較的大きなサイドポンツーンの前方にラジエターを格納している。リアタイヤ前にはオイルクーラーが配置された。フロントサスペンションはアッパーがロッキングアームでセミインボードにダンパーを配置するが、全体的にゴチャゴチャして残念な感じではある。
ノーズもウィングノーズになったが、エレメントは後退角がつけられているのが特徴的だ。リアウィングは翼端板に細いフレームを組んだステーを介して取り付ける奇妙な形態である。後退角のついたメインプレーンは中心線上にセパレーターがあるが、形状はフロントウィングのエレメントによく似ている。前後ウィングのエレメントは部品が共通だったのだろうか。とはいえ全体的に前年までのP201に比べるとだいぶモダンなデザインになった。
またフェラーリに類似したスタイルと水色のカラーリングから、ブルー・フェラーリのあだ名を頂戴するに至っている。ただしP207のモノコックはテリーがイーグルT1GやBRM P126で採用したのと同じフルモノコック構造であり、燃料タンクのために横幅が広く、さらにその上からカウルを取り付けるという形態で、考え方がどうにも古臭かった。車重は615kgとかなり重い。



エンジンはチームに戻ったウッズが設計した、新設計のV型12気筒であるBRM P202を搭載した。出力はおよそ480HPとされる。ただしストレス・マウントに耐える強度がなかったのか、パイプで組んだサブフレームを介してエンジンとリアサスペンションを支持するという、こちらも古臭い設計である。ギアボックスはBRM P193を組み合わせる。P193はヒューランドの既製品に比べてかなり出来がよく、パドックでもその評価は高かった。供給を求める声も他チームから上がるほどだったのだが、チームは製作する余力が無かったのか、それともチームのアドバンテージを少しでも保持したいと考えていたのか、この逸品を他者へ供給しようとは考えなかった。



ドライバーは新たに75年イギリスF3チャンピオンのラリー・パーキンスを起用した。スポンサーは広告代理店の仲介で時計メーカーのロータリー社が支援につく。エントラント名はロータリーウォッチズ・スタンレーBRM。

開幕戦アルゼンチンGPをBRMはいきなり欠場した。その事情はどうも、ニューマシンP207のディメンジョンが大きかったために航空機輸送用パレットに積載できなかったというものだったようである。何もできないまま、チームはレースを指をくわえて見ている他無かった。



ようやくお目見えの第2戦ブラジルGP。ここでは最下位の予選22位からスタートしたパーキンスだったが、1週したところでオーバーヒートしてリタイヤ。

第3戦南アフリカGPでもP207が航空機輸送用パレットに搭載できないという馬鹿げた問題が再発し、チームは急遽ファクトリーに眠っていたP201Bを再整備して投入した。77年シーズンは開幕後も問題が立て続けに起こり、スタンレーが企図したようなチームの復権はいまだになされる気配がない。さらに旧型マシンはシリンダー2つが死んで10気筒になってしまい、パーキンスはチームに失望しつつあった。



非選手権戦のレース・オブ・チャンピオンズ。後退角のついていたフロントウィングは早くも一般的な形状に変更された。ラジエターアウトレットはスリット状から完全な開口部に変更されている。オイルクーラー部分も開口部形状が変わり、NACAインテークも開けられた。コクピットカウル横のエアインダクションも長さがかなり短縮されている。パーキンスは予選14番手を得たが、サスペンションが壊れリタイヤ。



第4戦アメリカ西GPは欠場した。転戦の資金と、航空機輸送の懸念があったと思われる。明けたヨーロッパラウンド初戦となる第5戦スペインGP。冷却への懸念からかラジエターはリアタイヤ前のオイルクーラーがあった部分に移設され、開口部を拡大した。そのオイルクーラーは2連装でリアウィング下に配置される。サイドポンツーン側面のNACAインテークで取り入れたエアがどこに向かうのかは不明である。
ドライバーのパーキンスも離脱してしまったため、ここから前年にサーティースでスポット参戦したスウェーデン人のコニー・アンデルソンを起用した。早くも大規模な改修を受けたP207であったが新人ドライバーの経験不足も重なり、最下位の31位で虚しく予選落ちに終わる。

続く第6戦モナコGP参加を前に、チームには主催者からテレックスが送り付けられてきた。その内容は端的に言えば、「参加するに及ばず」というものであった。今シーズンのBRMは満足に予選を突破できず、そのような状況ではエントリー台数が絞られる伝統のモナコGPも予選通過はできないだろうと参加を拒否されてしまったのである。確かにBRMの戦績は全く冴えず、前年は開幕戦のみで選手権から撤退していた。あまりにも屈辱的な仕打ちではあったが、チームはこの通告を受け入れてレースを欠場する。またスタンレーの謳った成績を出していなかったことから、契約不履行を理由にスポンサーから訴訟を起こされそうになるが、スタンレーの説得でどうにか免れた。



第7戦ベルギーGP。リアウィングは翼端板下部を無理やり延長し、ギアボックスにステーを渡して接続する77年のトレンドに沿ったデザインとなった。



ただ、そのステーも無骨極まりない角材のようなもので製作されており、どこか投げやりな感じである。メインプレーンもセパレーターが消えて直線的な形状になった。アップデートは何ら意味を成さず、アンデルソンは予選29位で予選落ち。



第8戦スウェーデンGPも30位で予選落ちに終わる。ここではスポットで地元スウェーデンのVastkust-Stuganがスポンサーについた。



第9戦フランスGPも最下位の30位で予選落ち。インダクションは長いタイプに戻されている。



地元である第10戦イギリスGP。アンデルソンに替えて、チームは前年ヘスケスで走っていたガイ・エドワーズを起用した。だが予選は33位で予備予選落ちに終わる。エドワーズはスペアカーでもタイムアタックを試みたが、P207の性能では如何ともし難い。



第11戦ドイツGPでついに成績の不振を誤魔化しきれず、ロータリー社がスポンサーを降りた。このためエントラント名をスタンレーBRMに変更する。ドライバーもベルギー人のテディ・ピレットを新たに起用した。ピレットは74年のベルギーGPに1度だけ参戦したことがあったが、ブランクがあっては実質的に新人のようなものである。予選も30位と最下位で、当然のように予選落ちだった。



第12戦オーストリアGPは欠場した。次の第13戦オランダGPでチームは復帰したが、ウルフ風にロールバー後部にエアインダクションカウルを取り付けたのが大きな変更点である。ここではミハエル・ブリークモレンのマーチよりは速かったが、33位でピレットは予選落ち。



第14戦イタリアGP。予選は31位と相変わらずの低空飛行で予選落ちに終わる。北米ラウンドと最終戦日本GPは渡航費用の問題か欠場したため、このレースがBRMにとってF1世界選手権最後のレースとなった。




P207は時代遅れなマシンだった。とにかく重量が重く、大きく、そして空力的にも優れたマシンではなかったのである。見た目こそそれなりに整ってはいたが、中身の古臭いP207はスタイルの似たフェラーリやロータスのマシンのような性能は備えておらず、77年シーズンはかつてのチャンピオンチームであるBRMの凋落を決定付けてしまった。スポンサーのロータリー社も途中で支援を打ち切ってしまい、性能の低いマシンでチームはただレースに参戦しては予選落ちを繰り返すことしかできなかったのである。



またリジェが開幕からニューマシンJS7を投入したのだが、彼らのマシンはP207よりももっとフェラーリに似ていた。そのためブルー・フェラーリの愛称もリジェに取られてしまい、BRMのマシンなど誰も見向きもしなかった。



この悲惨なシーズンを覆す気力も無かったのか、スタンレーはF1世界選手権への参加をこの年限りで打ち切ることを決めた。レース以外にもマシンを航空機で輸送ができない、F1コンストラクター・アソシエーションからの除名処分、そして極めつけはモナコGPのエントリー拒否など、もう歴史くらいしか誇れるものがないBRMは散々な目に遭いながらF1から去っていったのだった。予選最高位はパーキンスが記録した第2戦ブラジルGPの22位、決勝進出は第2戦ブラジルGPのみで、完走することはできなかった。





ついに世界選手権から撤退したブリティッシュ・レーシング・モータースであったが、チームオーナーであるルイス・スタンレーのレースへの熱意は冷めていなかった。資金が不足していたチームではあったものの、彼らはイギリス国内で開催されていたローカル選手権のオーロラAFXチャンピオンシップに参戦することとしたのである。



マシンは77年に引き続き、P207を使用する。仕様は77年シーズン後半と変わっておらず、カラーリングも水色と白にゴールドのストライプが入る。エンジンもBRM P202で変化ない。
ドライバーも77年終盤から継続して、テディ・ピレットを起用する。エントラント名はスタンレーBRM。



開幕戦のインターナショナル・ゴールドカップ。予選4番手からスタートしたピレットだったが、13週でエンジンが壊れリタイヤ。



第3戦ATVトロフィー。予選3位を得てチャンス到来のレースだったが、3週してまたしてもエンジンが壊れた。



スネッタートンで開催された最終戦バドワイザー・トロフィー。グリッド上にはスタンレー夫妻も佇んでいる。予選は7位につけたピレットだったが、8週したところでデスビが壊れリタイヤに終わってしまった。後半戦からノーズのグッドイヤーロゴが外されたようだ。




78年はオーロラAFX選手権に軸を移したBRMであったが、その成績は今ひとつ伸びなかった。重量過大なP207はエンジンパワーもトップランナーであるDFV勢に比べると低く、戦闘力で劣っている面は否めなかった。またエンジン周りのトラブルも多く、完走率が低いのも欠点の一つであった。それでも奮闘したピレットは2戦で入賞し20点を獲得。チャンピオンシップを13位で終えた。
予選最高位は第3戦ATVトロフィーの3位、決勝最高位は第8戦オウルトンパークでの4位であった。新たにオーロラAFX選手権を戦ったBRMであったが、さすがにこのP207ではもうどうしようもなく、起死回生を掛けてチームでは79年用ニューマシンの設計に取り掛かるのであった。



P207は2台が製作された。
P207-01は77年の第2戦ブラジルGPで投入され、ブラジルGPとレース・オブ・チャンピオンズでパーキンス車だった。第5戦スペインGPから第8戦スウェーデンGPまではアンダーソン車となり、第10戦イギリスGPでエドワーズが使用した以外はスペアカーだった。
78年はピレット車だった第2戦イブニング・ニュース・トロフィーを除く全てのレースでスペアカーだった。

P207-02は77年の第9戦フランスGPでアンダーソン車として投入された。第10戦イギリスGPでスペアカーとなった後、第11戦ドイツGPから第14戦イタリアGPまではピレットが使用した。
78年はスペアカーだった第2戦イブニング・ニュース・トロフィーを除く全てのレースでピレット車だった。その後P207Bに改修されている。


16/01/03 修正
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  1. 2014/08/24(日) 05:07:24|
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