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BRM P201(その2)

75年、ブリティッシュ・レーシング・モータースのオーナーであり、最大の支援者であったルベリー・オーウェン・グループの総帥であるサー・アルフレッド・オーウェンの体調は悪化していた。このためオーウェンは妹婿であるルイス・スタンレーにチームの全てを譲渡し、その運営を委ねたのである。69年からマネージャーを務めていたティム・パーネルもチームを去った。



マシンも新たに製作する余裕は無く、74年に投入したP201を引き続き使用する。フロントのトレッドが15mm、リアが35mm拡大された以外は特に変更点は無い。エンジンはP192の改良型であるBRM P200が搭載された。ギアボックスも同じくBRM P193である。タイヤはファイアストンの撤退のため、グッドイヤーにスイッチした。
ドライバーは72年以来チームに所属していたジャン-ピエール・ベルトワーズがF1から去り、イギリスチームへの回帰もあったのか、前年にエンサインで走っていたマイク・ワイルズを起用した。スポンサーは無く、車体には大きくスタンレーBRMのロゴが描かれる。F1では唯一の英国籍フルコンストラクターとしての矜持か、リアウィングの翼端板にはユニオンジャックがあしらわれ、マシン全体も同じく青/白/赤のカラーリングで塗られた。エントラント名はBRMの所有権がスタンレーに移ったこともあってか、スタンレーBRMを名乗る。明らかにスポンサーの無い見た目の通り、チームは前年の3カー体制から一転して1カー体制に縮小した。



開幕戦アルゼンチンGP。予選22位からスタートしたワイルズは燃料ポンプが壊れ24週でリタイヤ。





第2戦ブラジルGPではノーズコーン上面でウィングを支持する新型ノーズをテストしている。予選は22番手だったが、決勝は電気系統のトラブルで22週目にリタイヤ。



第3戦南アフリカGPでチームはワイルズに替えて、イギリスF5000チャンピオンのボブ・エヴァンスを起用した。予選24位からスタートしたエヴァンスは15位で完走。



非選手権戦のレース・オブ・チャンピオンズ。19番手からスタートしたエヴァンスは6位でレースを終えた。



同じく非選手権戦のインターナショナル・トロフィー。ここから幅の狭い新型のインダクションポッドが装着され、ブラジルで投入したウィングノーズを装備するようになった。予選は16位からスタートし、10位で完走。



第4戦スペインGP。予選23位からスタートしたエヴァンスだったが、7週目に電気系統のトラブルでリタイヤ。



第5戦モナコGP。エヴァンスは22位で予選落ちに終わる。



第8戦オランダGP。予選20位は今シーズンのBRMでは上の方である。レースはデフが壊れ23週でリタイヤ。



第9戦フランスGPも予選25位と最後方に沈む。それでもしぶとく走ったエヴァンスは17位で完走。

第10戦イギリスGPはエンジンが用意できず、地元GPを屈辱の欠場。もう満足にシーズンを戦い抜くことができないほどにBRMのチーム力は低下していた。



第11戦ドイツGPも同様に欠場し、次に現れたのは第12戦オーストリアGPであった。予選24位からスタートしたエヴァンスであったが、2週でエンジンが壊れリタイヤ。



第13戦イタリアGP。予選20位を得たエヴァンスだが、ここでも電気系統のトラブルで0週リタイヤと散々な結果であった。





BRMは最終戦アメリカGPを欠場した。もうアウェイを転戦する資金にも乏しかったようである。そして1カー体制へと縮小した寂しい75年シーズンのBRMを見届けた後の10月29日、サー・アルフレッド・オーウェンは息を引き取った。長年に渡りF1活動に理解を示し、そしてチームを支えてきたBRMの大黒柱は崩れてしまったのである。BRMの運営はスタンレーの手に渡っていたが、オーウェン卿が同じく運営していたルベリー・オーウェン・グループも責任者が替わり、これ以上のF1への支援を行わないことを決めていた。
そしてマシンは開発もほとんどなされず、低下したチーム力ではエヴァンスも下位をうろつくことしかできなかった。予選最高位は第6戦ベルギーGPと第8戦オランダGPの20位で、決勝最高位は第6戦ベルギーGPの9位であった。75年シーズンのBRMはついにノーポイントに終わり、最大の理解者であるオーウェン卿も世を去った。もう彼らを守る後ろ盾はこの世には存在しない。



P201は5台が製作された。
P201-01は74年の第3戦南アフリカGPで投入され、第7戦スウェーデンGPまでと第9戦フランスGPでベルトワーズ車だった。第8戦オランダGPはミゴーが、第10戦イギリスGPはペスカローロが使用している。

P201-02は74年の第6戦モナコGPでスペアカーとして投入された。第7戦スウェーデンGPと第9戦フランスGPはペスカローロが、第8戦オランダGPと第10戦イギリスGPから第12戦オーストリアGPまではベルトワーズが使用した。第13戦イタリアGPはミゴー車となっている。
75年は第3戦南アフリカGPでエヴァンスが使用した。その後はエヴァンス車だった第6戦ベルギーGPと第9戦フランスGPを除いて、第13戦イタリアGPまでスペアカーだった。

P201-03は74年の第11戦ドイツGPでペスカローロ車として投入された。第12戦オーストリアGPはスペアカーとなったが、第13戦イタリアGPから最終戦アメリカGPまではベルトワーズ車となっている。

P201-04は74年の第13戦イタリアGPでペスカローロ車として投入された。第14戦カナダGPと最終戦アメリカGPではエイモンが使用している。
75年は開幕戦アルゼンチンGPと第2戦ブラジルGPでワイルズが使用した。その後P201Bに改修されている。

P201-05は75年のレース・オブ・チャンピオンズで投入され、スペアカーだった第6戦ベルギーGPと第9戦フランスGPを除いて第13戦イタリアGPまでエヴァンス車だった。P201では唯一の75年製シャシーである。
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  1. 2014/08/03(日) 14:23:38|
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