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BRM P201(その1)


74年、ブリティッシュ・レーシング・モータースはフィリップモリス社とのスポンサー契約を更新することができず、マールボロブランドでの多額の支援を失うこととなった。加えてチームにとっては苦しいことに、ドライバーのクレイ・レガッツォーニがフェラーリへ復帰し、同僚のニキ・ラウダまで同様にチームを去ってフェラーリに移籍してしまった。



74年シーズンに向けて開発されたのがP201である。デザインはチームを離れたトニー・サウスゲートの後任としてチーフデザイナーに就いた、マイク・ピルビームが担当した。P180以来の完全に新規設計となるF1マシンである。



その見た目からもわかるように、P201のデザインは73年にデビューしたブラバムBT42を手本としている。ピルビームはこのマシンにかなりの影響を受けたらしく、断面が三角形となるピラミッド・モノコックなどそのまま取り入れている。ただしP201はピルビームなりのデザイン哲学が盛り込まれており、重量物を中心に寄せる意図からラジエターはモノコック側面に設置され、スポーツカーノーズはすっきりしたデザインとなった。ブレーキも前後ともインボード式となっている。だが74年シーズンはブラバムがより洗練されたマシンであるBT44を投入しており、それに比べるとP201はどこか雑然とした見た目をしていた。P160Eに比べてホイールベースは125mm、トレッドはフロントが65mm、リアが110mm拡大されている。



ローンチ時のP201。インダクションポッドは間に合わなかったのか、P160Eのものを取り付けている。



エンジンはピーター・ウィンザー-スミスの手がけた新開発のV12であるBRM P192を搭載した。出力はおよそ450HPであるが、前年までのP142に比べてショートストロークになっている。最大の特徴はバルブの挟み角が狭角になったことで、ようやく他チームと肩を並べる程度の形態には落ち着いた。ギアボックスはやはり新開発となる、BRM P193を組み合わせた。
ドライバーは前述の経緯もあり、エースドライバーのジャン-ピエール・ベルトワーズのみが残留した。残る二人分のシートは新たに起用したアンリ・ペスカローロとフランソワ・ミゴーが得ることとなった。これによりBRMのドライバーは全てがフランス人となる。スポンサーは新たにモチュールがついたが、ロゴは小さかった。エントラント名はモチュール・チームBRM。



第3戦南アフリカGPでP201が初投入された。ただし用意できたのは1台のみで、これは当然ベルトワーズが使用している。ラジエターのカウルは熱対策のためインテーク部分が切り取られており、早くも冷却性能の不足が出てしまったようだ。予選11番手を得たベルトワーズは2位表彰台を獲得し新車投入の成果があったように見えた。



第4戦スペインGPでもP201は1台しかなく、ベルトワーズが使用した。予選11位からスタートしたベルトワーズだったが、僅か2週でエンジンが壊れリタイヤ。



第5戦ベルギーGPも同様である。P201はラジエターを若干大型化した上で、位置をリアタイヤ寄りに後退させてカウルを箱型にした。予選7位と悪くない位置につけたベルトワーズはマクラーレンのデニス・ハルムを振り切って5位に入賞。



第6戦モナコGPでP201-02が投入されたが、これはベルトワーズのスペアカーとされた。予選は11番手と中団につけたベルトワーズだったが、オープニングラップの多重クラッシュであえなくリタイヤ。



第7戦スウェーデンGPはベルトワーズとペスカローロの2カー体制となったが、ペスカローロもP201を使用した。カウルが取り外されているため、ラジエターの様子がよく分かる。予選はベルトワーズ13位、ペスカローロ19位。だがレースはペスカローロのマシンが火災を起こし0週リタイヤ。ベルトワーズも3週でエンジンが壊れレースを早々に終える。





第8戦オランダGP。様子を見るためだったのか、P201はペスカローロではなくミゴーに与えられた。ラジエターが大きい方が01で、小さい方が02と思われる。ベルトワーズは予選16位、ミゴー25位とグリッド下位に沈んでいた2台のP201だったが、ベルトワーズが18週目、ミゴーが60週目にどちらもギアボックストラブルでリタイヤ。



ドライバー達の地元である第9戦フランスGP。予選は振るわずベルトワーズ17番手、ペスカローロ19番手に沈む。レースは1週したところでクラッチが壊れたペスカローロがリタイヤ。ベルトワーズは1週遅れの10位で完走と振るわなかった。



チームの地元である第10戦イギリスGP。予選はベルトワーズが23位にペスカローロ24位と、もうどうしようもない位置にいた。レースはベルトワーズが巻き返して12位で完走したが、ペスカローロは64週したところでエンジンが壊れてリタイヤ。



第11戦ドイツGPはニューシャシーのP201-03を投入して挽回を図る。ベルトワーズが予選15位と奮闘したが、03を駆ったペスカローロは24番手に沈む。レースはベルトワーズが燃料系のトラブルで4週目にリタイヤ。ペスカローロがどうにか10位で完走に終わる。







ベルトワーズの1台に集中し他のドライバーを欠場させてまで挑んだ前戦オーストリアであったが結果は変わらず、第13戦イタリアGPは3カー体制に復帰する。このレースは3台全てがP201になった最初で最後のレースだった。ラジエターもドラッグを考慮してか初期の小型のものに戻されている。予選はベルトワーズが奮闘して11番手を得ていたが、ミゴーは24位、ニューシャシーのペスカローロは25位と最下位をさまよっていた。レースは電気系統のトラブルでベルトワーズが0週リタイヤと努力が水泡に帰す。ミゴーも1週したところでギアボックスが壊れ、ペスカローロも3週目にエンジンが壊れる。5週もしないうちにBRMはマシントラブルで全滅してしまった。



第14戦カナダGP。ついにミゴーは解雇され、パフォーマンスの出ないペスカローロもチームを離れた。そんなチームに新たにやってきたのは、自身の製作したマシンが全く結果を出せず、クリス・エイモン・レーシングを畳んだクリス・エイモンだった。予選はベルトワーズが18位、エイモンは最下位26位と相変わらず振るわない。マシンは不調でベルトワーズ、エイモンともに週回数不足で完走とみなされない、虚しい結果でレースを終えた。



最終戦アメリカGP。ベルトワーズは予選のアタック中にクラッシュし予選落ち。一人残ったエイモンが予選12番手から9位で完走してどうにかシーズンを締めくくる。




74年シーズンのBRMはマールボロ時代の潤沢な予算とは異なり、ニューマシンの投入も段階的で苦しいものだった。3カーエントリーこそ継続していたものの、結果を出していたのはベテランのベルトワーズのみで、ペスカローロとミゴーはただ走っているだけのような状況だった。最終戦アメリカGPではそのベルトワーズもついに予選落ちを喫し、かつてのチャンピオンチームもその力が無いことは明らかだった。



結果的にこのシーズンが、BRMが表彰台とポイント獲得を果たした最後のシーズンになってしまうのである。予選最高位は第5戦ベルギーGPの7位、決勝最高位は第3戦南アフリカGPの2位で、いずれもベルトワーズによるものだった。
序盤の3戦で得た10点でコンストラクターズランキングはどうにか前年と同じ7位を維持できたが、BRMのパフォーマンスはすっかり下降線を辿ってしまっていた。

その2へ続く

15/06/27 追記
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  1. 2014/08/03(日) 13:56:07|
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