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ルノーRE40


82年はRE30Bで合計4勝を挙げたルノー・スポールであったが、マシンの信頼性の欠如は多くの失点をチームにもたらした。エンジン周りの信頼性向上は急務であったが、これ以外にも新素材のカーボンファイバーで製作したモノコックは高い強度を示し、81年のマクラーレンとロータスに続き、アルファロメオがこれに続いてマシンを出現させていた。ルノーもこれに倣い、83年のニューマシンについてはカーボンファイバーを採用することを決めた。



83年シーズンに向けて開発されたのがRE40である。デザインはベルナール・デュド指揮の下でミッシェル・テツと、新たに空力担当に就いたジャン-クロード・ミジョーが担当した。RE40においてRE30から最も大きく変わった点は、モノコックを構成する材質がカーボンファイバーになったことである。これにより大幅な軽量化と高い剛性を得ることに成功した。RE40はRE30Cに比して、12kgの軽量化を果たしている。



ただし画像から見ても分かる通り、RE30のモノコック設計を基本にカーボンファイバーで置き換えたような形態をしている。冷却機器の配置も基本的にはRE30Bを踏襲しており、フラットボトム規定で各チームのデザインが分かれる中、ルノーは大きい箱型のサイドポンツーンを備えた形態で、それまでのウィングカーのスタイルを残している。



ラジエターの排熱はサイドポンツーン上面から少し移動しており、斜めに切り取られた開口部から排熱する形態である。画像はジャカレパグアでのテスト時で、初期のテストではエルフのカラーである黄色一色に塗られていた。



その後のテストではルノーダイヤモンドがノーズに描かれるようになった。ラジエターアウトレットの切り欠きがよくわかる。



エンジンはRE30Cに搭載したものと同じ、83年仕様のルノーEF1を搭載した。ターボチャージャーはKKK製を装備しており、およそ640HPを発揮する。エンジンの排気はリアタイヤ前のフェアリング部分にエギゾーストが出ており、ここから排気するスタイルとなっている。
また83年から、ターボエンジンをチーム・ロータスに供給することが決定した。ただし型落ちのEF1をルノー傘下のメカクローム社経由で供給するもので、メンテナンスも含めてルノーのワークスチームは関わっていなかった。



シーズン開幕前に1号車が完成したRE40であったが、チームは開幕戦を暫定車RE30Cで戦うことを決め、RE40の投入を先送りにした。RE40が登場したのは第2戦アメリカ西GPである。ここでは遅れて完成したRE40-01も持ち込まれた。ただし2台のRE40はいずれもプロストに優先権があり、チーバーはRE30Cを2台与えられている。前年までの序列のはっきりしないような状態に比べれば、二人の待遇差は明らかだった。RE40はカラーリングがRE30Cに準じた白/黄/黒の三色に変更されている。予選は8位を獲得したプロストであったが、レースは順位を落として11位に終わる。



例年より早い開催となった第3戦フランスGP。地元でのレースであり、ルノーにとって勝利は絶対である。まだ開幕から少ししか時間も経っておらず、ライバルの力が伸びないうちに勝利をモノにするチャンスでもあった。またカラーリングも若干変更され、エンジンカウルの塗り分け線が下がって白の面積が増えている。ノーズコーンもプロスト車が識別用に赤く塗られている。



予選は期待通り最速タイムを叩き出したプロストとチーバーがフロントローを独占。レースはブラバムのネルソン・ピケに迫られるがプロストが首位をキープしてポールトゥーフィニッシュ。チーバーも3位に落ちたが表彰台を獲得し、ルノーは地元での面目を保った。



第4戦サンマリノGP。7kg軽いニューシャシーのRE40-03が投入され、プロトタイプの00を置き換えた。準地元のレースということでフェラーリのルネ・アルヌーがポールポジションを獲得。ブラバムのピケにも先行され、プロストは4番手だった。チーバーはその後ろ6位に位置した。レースはチーバーが僅か2周でターボチャージャーのトラブルによりリタイヤしたが、ピケのリタイヤもあり、アルヌーをかわしたプロストが2位表彰台を獲得。カラーリングは若干変更され、ノーズの識別色が小さくなり、黒の塗り分けの上にアクセントで黒いラインが入れられるようになった。チーバー車も識別色に青を採用したと思われる。



第5戦モナコGP。RE40は面積を大幅に増大した新型ディフューザーを投入した。予選はプロストがポールポジションを獲得し、チーバーも3位に位置する。レースは雨に見舞われ、チーバーが30周目に電気系統のトラブルでリタイヤ。プロストは順位を落として3位表彰台に終わる。



第6戦ベルギーGP。前戦優勝で波に乗ったか好調のタンベイに僅か0.01秒差でポールポジションを獲得したのはプロストだった。チーバーは8位に沈む。レースはタンベイを引き離したプロストがポールトゥーフィニッシュ。チーバーも挽回して3位表彰台と、着実に点を稼いだレースとなった。



画像はドライバーネームが2人あることからスペアカーのRE40-01だが、塗り分けは初期のままだったようだ。ディフューザーも初期型のままである。



デトロイトで開催された第7戦アメリカGP。予選はプロストが13位に沈み、チーバーも7位と苦しい状況。レースもチーバーが僅か4周でドライブシャフトが壊れてしまいリタイヤ。プロストも順位を上げたが8位でレースを終える。



第8戦カナダGPは0.1秒差でアルヌーに遅れ、プロストは2番手だった。チーバーは6位と相変わらず少し後ろに位置する。レースはチーバーが奮闘し2位表彰台を獲得。プロストは順位を落として1周遅れの5位でどうにか入賞。フェラーリには点を奪われたが、ブラバムの2台が全滅したのはせめてもの救いだった。



ヨーロッパに戻っての第9戦イギリスGP。ニューモノコックのRE40-04と05が投入されたが、この2台は03よりも10kg軽量化されていた。予選はフェラーリの2台に続いたプロストが3番手、チーバーは7位とほぼ低位置である。レースはプロストが首位に立ちシーズン3勝目。チーバーは僅か3周でエンジンのガスケットが抜けてリタイヤ。



第10戦ドイツGP。カスタマーのロータス・ルノーも新車94Tの投入でじわじわと成績を上げる中、フロントローを占めたのはフェラーリだった。ブラバムやアルファロメオにも割って入られ、プロストは予選5位、チーバー6位という位置になる。レースはチーバーが燃料ポンプの故障で38周目にリタイヤ。プロストはピケのリタイヤで順位を1つ上げて4位入賞に終わる。



第11戦オーストリアGP。予選はプロストが5位、チーバー8位と冴えない位置だった。レースは順位を巻き返し、プロストがアルヌーから6秒差で勝利を得る。チーバーも4位に入賞して得点を拾い、チャンピオンシップでのリードを築いた。





第12戦オランダGP。予選でプロストはピケ、アルヌー、ロータスのエリオ・デ・アンジェリスに先行され4番手。チーバーは11位に沈んでいた。レースはプロストが順位を上げ、トップのピケに迫る。チーバーが39周目にリタイヤする中、41周目にプロストはピケにオーバーテイクを仕掛けた。だがプロストは無理に仕掛けたことが裏目に出て、ピケを巻き込む形でリタイヤに終わる。プロストにははっきりと見えてきたチャンピオン獲得へのプレッシャーがあったのかもしれなかった。



第13戦イタリアGPでポールポジションを奪ったのはお膝元のフェラーリではなく、ブラバムを駆る地元イタリア出身のリカルド・パトレーゼだった。プロストは5番手につけ、チーバーはその後ろの7位にいた。レースは26周目にプロストがターボチャージャーのトラブルでリタイヤ。チーバーが挽回して3位表彰台を得たが、ピケが優勝しプロストに5点差まで迫る。ここでは最終シャシーとなるRE40-06が投入されたが、この車はRE40でも最も軽く、545kgまで軽量化されていた。



第14戦ヨーロッパGP。RE40はダウンフォース増加のためリアウィング横に小型のウィングレットを装着した。予選はチーバー7位、プロスト8位と苦しい状況であった。レースはプロストがトップを走るピケとの差を詰めるが、最終的に6秒差で敗れ2位に終わる。チーバーは順位を落とし1周遅れの10位でレースを終えた。プロストは57点、ピケ55点とチャンピオンシップ争いは最終戦にもつれ込む。



プロストとピケの決戦の地となる最終戦南アフリカGP。予選はピケが2位フロントローを得る中、プロストはアルヌーの次の5番グリッドにいた。チーバーは14番手に沈んでおり、援護はほとんど期待できない。プロストはピケを相手にする前に、ブラバムのパトレーゼとフェラーリのアルヌーを片付けなければならない。不利な条件でスタートしたレースだったが、35周目にプロストのRE40-06はターボチャージャーが壊れ万事休す。4位以上でチャンピオン確定のピケが3位でフィニッシュし、プロストのチャンピオン獲得の夢は露と消えた。チーバーは6位で完走し1点を得たが、それは何の慰めにもならなかった。




RE40もマシンの出来としてはかなり良かった。ただしブラバムはターボエンジン用の特殊燃料や予選用エンジンマッピングなど、エンジン周辺の開発も怠っておらず、そうした面でルノーは遅れをとっていた部分もあった。終盤には開発の進むライバルチームが成績を上げて相対的にルノーが調子を落としたことで、ルノーは最後にブラバムにチャンピオンシップを奪われてしまった。これはドライバー個人の問題だけでなく、前述の開発競争もあったのだが、ルノーは全ての責任を矢面で戦っていたプロストに負わせた。終盤戦で次第にチームとの関係が気まずくなる中でこれが決定的となり、プロストはチームを離脱することを決めてしまったのである。新加入のチーバーはしばしば入賞して点を得たが、待遇差によるものなのかそれ以上のものではなかった。



83年のルノーはRE40で3つのポールポジションと4つの勝利を得たが、これは全てエースドライバーのプロストによるものだった。コンストラクターズランキングは最多勝で点を稼いだフェラーリに破れ、10点差の79点で2位に終わる。とはいえこれはルノーの成績でもこれまでで最高のものだったのだが、この成績を成し遂げてきた功労者の一人であるプロストはチームを去った。だがその代償が想像以上に高くつくことを、この時のルノーはまだ知らなかったのである。



RE40は7台が製作された。RE30と重複する車番が出てしまうため、このRE40からはハイフンの後にシャシーナンバーを割り当てる通常の方式となった。ただし1号車は00である。
RE40-00は83年開幕前に完成しテストで使用された。第2戦アメリカ西GPはプロスト車となっている。第3戦フランスGPでスペアカーだったのを最後にレースから退いた。基本的にはテスト用のシャシーであり、以後はレースに持ち込まれなかった。後のRE40と比べると若干車重が重い。

RE40-01は第2戦アメリカ西GPでスペアカーとして投入された。第3戦フランスGP・第4戦サンマリノGPと第8戦カナダGPではプロストが使用している。第5戦モナコGPから第7戦アメリカGPまではスペアカーであった。

RE40-02は第3戦フランスGPで投入され、第8戦カナダGPまで一貫してチーバー車であった。

RE40-03は第4戦サンマリノGPでスペアカーとして投入された。スペアカーだった第8戦カナダGPと第9戦イギリスGPを除き、第5戦モナコGPから第10戦ドイツGPまではプロスト車だった。その後プロストが使用した第13戦イタリアGPを除き、第11戦オーストリアGPから第14戦ヨーロッパGPまでは再びスペアカーとなっている。

RE40-04は第9戦イギリスGPで投入され、最終戦南アフリカGPまで一貫してチーバー車となっている。

RE40-05は第9戦イギリスGPで投入され、スペアカーだった第10戦ドイツGPを除いて第12戦オランダGPまでプロスト車だった。最終戦南アフリカGPではスペアカーとなっている。

RE40-06は第13戦イタリアGPでスペアカーとして投入された。第14戦ヨーロッパGPと最終戦南アフリカGPはプロスト車となっている。

15/11/15 修正
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  1. 2015/10/31(土) 23:58:57|
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