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BRM P160


70年シーズンはニューマシンP153と、チームに復帰したペドロ・ロドリゲスの活躍によって久々の勝利を記録したブリティッシュ・レーシング・モータース。それ以上の成績を得るべく、71年シーズンに向けて開発されたマシンがP160である。デザインは前作P153に引き続き、トニー・サウスゲートとデイブ・ワスが手がけた。



P160は基本的にはP153の小改良型と呼べるマシンである。燃料タンクで膨らんだモノコック側面やノーズに置かれたラジエターという車体の基本形は同様だが、車体右側に露出していたラジエター配管が車体下に納まっている点がP153と異なる。最大の変更点は車体の重量配分で、ホイールベースを25mm延長した。逆にトレッドは縮小され、前後ともP153に比べて50mmナローである。これらの変更により前後の重量配分は前35:後65となり、P153から操縦性が改善された。外観的にはP153に似ているため判別し難いが、ラジエター配管の位置で判別できる。



またP153のオイルクーラーはリアウィングステー左横に大型のものが1基装備されていたが、P160は小型化されたものをステーの左右に振り分けている。車重はP153の535kgに比べて若干重い、540kgだったようだ。



エンジンはP153と同じく、BRMが開発したV型12気筒のP142 Mk2を搭載した。70年型に比べてエギゾーストの改良でパワーアップしており、出力はおよそ440HPを発揮する。エンジンのマウント方法もP153と若干異なっており、P153ではロールバーから2本のステーがエンジンのヘッドカバーに接続するように伸びていたが、P160ではロールバー上部の中心線上からバンク間のエンジンマウントに接続されるようになっている。ギアボックスはP160に合わせて開発された、新型のBRM P161を組み合わせる。



ドライバーはロドリゲスが残留したが、前年所属したジャッキー・オリバーとジョージ・イートンはチームを離脱したため、新たにジョー・シフェールと新人のハウデン・ガンレイを起用した。スポンサーは引き続きヤードレーがメインスポンサーとして支援する。エントラント名はヤードレー・チームBRM。



開幕戦南アフリカGPに用意できたP160は1台のみであった。これは当然ながらエースドライバーのロドリゲスが使用している。ロドリゲスは予選10番手からスタートしたが、33週目にオーバーヒートでリタイヤに終わった。



アメリカのオンタリオ・モータースピードウェイで開催された非選手権戦のクエスターGP。ここではシフェールにP160-02が与えられ、P160はロドリゲスとシフェールの2台体制となった。オイルクーラーにはインダクションボックスが追加されているのがわかる。重量配分を後ろ寄りにするため、オイルクーラーはかなり後ろにマウントされていた。第1ヒートはロドリゲス18位、シフェールが3位。第2ヒートはロドリゲス4位、シフェール13位であった。



非選手権戦のスプリング・トロフィー。当初はジョン・マイルズを起用する予定だったためか、持ち込まれたP160はロドリゲス車のみだった。結局マイルズはエントリーせずシフェールが乗ったが、彼はP153をドライブしている。予選3位からスタートしたロドリゲスがトップに立ち優勝。



第2戦スペインGP。隣のカーナンバー16はガンレイのP153-03で、P160とのラジエター配管の違いがよくわかる。後方の14TもスペアカーのP153-07である。予選はロドリゲス5番手といい位置につける。シフェールは10位だった。レースではシフェールがシフトリンケージの破損で5週目にリタイヤしたが、ロドリゲスが4位でフィニッシュしシーズン初のポイント獲得。



非選手権戦のインターナショナル・トロフィー。第1ヒートでシフェールはエンジントラブルによりリタイヤ。2位でレースを終えたロドリゲスは第2ヒートで8位に順位を落とし完走。



第3戦モナコGPでは予選でシフェール3位、ロドリゲス5位と好位置につける。だがレースではシフェールが58週目にオイル配管の破損でリタイヤ。ロドリゲスも9位に順位を落としレースを終えた。



第4戦オランダGP。このレースから新型の空力パッケージを投入した。ノーズは先端がスラントしたタイプで吸入効率を上げた。エンジンにもカウルを取り付け、ドラッグ低減を狙っている。ロドリゲスがフロントローの2位獲得で期待が持たれたが、フェラーリのジャッキー・イクスには及ばず2位に留まった。シフェールは8番手スタートだったが6位に入賞と、BRMはシーズン初の表彰台獲得にダブル入賞でレースを終える。



第5戦フランスGPでも予選でロドリゲス5位、シフェール6位と悪くない位置だった。ロドリゲスは27週目に点火系のトラブルでリタイヤしたが、シフェールが4位に入賞し得点を得る。シフェールはタイヤ前にフェアリングのついた新型ノーズコーンをテストしている。



だがロドリゲスがF1をドライブしたのはこのレースが最後となってしまった。



ロドリゲスをフランスGP後のスポーツカーレースで事故によって喪い、第6戦イギリスGPではチームはシフェールとガンレイの2カー体制となった。シフェールは予選3位を獲得したが、レースでは順位を落とし9位という結果だった。





またシフェールが新型ノーズコーンと、流行となったインダクションポッドのテストを行っている。32号車はTカーのP160-03である。



第7戦ドイツGPでは、68~69年にかけてF1に参戦していたヴィック・エルフォードをスポットで起用した。またも予選3番手を得たシフェールだったが、6週目にサスペンションが壊れリタイヤ。



久々のF1であったエルフォードは18位で予選を通過し11位でレースを終えた。



第8戦オーストリアGP。このレースからガンレイもP160に乗り換えた。サードドライバーにはピーター・ゲシンをマクラーレンから迎え入れている。波に乗るシフェールがポールポジションを獲得し、スタートからラップリーダーを譲らずフィニッシュし、完全勝利を収める。ガンレイは14番手からスタートしたがエンジンのミスファイアで6週目にリタイヤ。ゲシンは16位から追い上げ10位でレースを終えた。



第9戦イタリアGPでも引き続きゲシンがシートを得た。予選はシフェール3位、ガンレイがすぐ隣の4位、少し後11位にゲシンが控える。ガンレイのみ、好みでショートタイプのエレメントをフロントに装備していたようだ。それ以外は全車フロントウィングなしのモンツァ仕様である。



レースではフェラーリをはじめ半数が脱落する中、BRMのゲシンとガンレイ、ティレルのフランソワ・セベール、マーチのロニー・ピーターソン、サーティースのマイク・ヘイルウッドがスリップストリームで互いに引っ張り合いながらの接戦を展開。



最終的にゲシンが集団のトップに立ち、2位のピーターソンを0.01秒差で抑えてグランプリ初勝利を飾った。4位のヘイルウッドでさえ0.18秒差、5位のガンレイは0.61秒と、F1史上に残る大接戦をBRMが制してシーズン2勝目を獲得。シフェールは順位を落とし9位でレースを終えた。



第10戦カナダGPに現れたBRM艦隊。チームはジョージ・イートンを起用し、旧型P153を使用するヘルムート・マルコも併せて5カー体制という他に無い布陣で臨む。



シフェールはフロントローの予選2番手だったが、レースでは順位を落として9位完走。



イタリアGPウィナーのゲシンは予選16位に沈み、14位でレースを終えた。



ガンレイは予選9位相当のタイムだったが、クラッシュしてマシンを壊し決勝に出られなかった。



スペアカーのP160-03はイートンが使用した。後方21番手からスタートしたイートンは15位で完走。



最終戦アメリカGP。シフェールが予選9位から2位まで追い上げ、表彰台でシーズンを締めくくる。ゲシンは後方21位からスタートして9位、ガンレイも12位から4位まで順位を上げて入賞。



それまでP153を使用してきたマルコだったが、このレースで新人のジョン・キャノンを起用したためかP160が彼に回ってきた。16番グリッドからスタートしたマルコは13位で完走。



非選手権戦のワールドチャンピオンシップ・ビクトリーレース。シフェールがポールポジション、ゲシン2番手とBRMがフロントローを占める。ガンレイは8番手だった。



だがシフェールはスタートで順位を落とし、15週目に4位にまで順位を戻していた。その週にオープニングラップで他のマシンと接触して破損していたサスペンションが完全に壊れ、コントロールを失ったP160はクラッシュ。火の手が上がったマシンから脱出することができず、救助の遅れからシフェールは死亡してしまった。レースを制したのは2番手スタートのゲシンだった。





71年はP160を投入し、ヤードレーのバックアップで一時期を除いて常時3カー体制を維持し、さらにスポットでドライバーを起用して最大5カー体制という壮大な陣営を敷いていた。だがこうして何人かのドライバーを起用したため、一部からはBRMレンタカーなどと揶揄されており、実際にチーム力の強化になったようには見えなかった。
それでも前年を上回る2勝を挙げたチームであったが、シーズン途中にエースドライバーのロドリゲスがスポーツカーレースで事故死し、ロドリゲス亡き後のチームを牽引してきたシフェールもシーズン終了後の非選手権戦レースで事故により亡くなる。またメインスポンサーのヤードレーも契約を更新しないことを決めるなど、素直に喜べないシーズンでもあった。



第8戦オーストリアGPでシフェールがポールトゥーフィニッシュを、第9戦イタリアGPでゲシンが2勝目を記録したがトップのティレルには追いつけず、コンストラクターズランキング
を2位で終える。



72年シーズンを前に、BRMは新たにフィリップモリス社からマールボロのブランドで支援を受けることが決まる。さらに充実したバックアップの元、BRMは新車の開発に勤しむのだった。



P160は4台が製作された。
P160-01は開幕戦南アフリカGPで投入され、第5戦フランスGPまでロドリゲス車だった。第7戦ドイツGPではエルフォードが使用し、第8戦オーストリアGPから最終戦アメリカGPまではゲシン車だった。ワールドチャンピオンシップ・ビクトリーレースではスペアカーとなっている。72年シーズン開幕後に追加でP160Bに改修された。

P160-02はクエスターGPで投入され、シーズン通してシフェール車だった。ワールドチャンピオンシップ・ビクトリーレースで炎上大破し車体は廃棄されたと思われる。

P160-03はホッケンハイムの非選手権戦で投入され、第9戦イタリアGPまでスペアカーだった。第10戦カナダGPでイートン、最終戦アメリカGPでマルコが使用している。ワールドチャンピオンシップ・ビクトリーレースではゲシン車だった。72年シーズンを前にP160Bに改修されている。

P160-04は第8戦オーストリアGPで投入され、ワールドチャンピオンシップ・ビクトリーレースまでガンレイ車だった。72年シーズンを前にP160Bに改修されている。
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  1. 2014/05/19(月) 00:12:19|
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