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BRM P153(その2)


70年シーズンはニューマシンP153とペドロ・ロドリゲスの活躍によって久々の勝利を記録したブリティッシュ・レーシング・モータース。さらなる改良を施した71年シーズン用のマシンであるP160の開発が進められていたが、開幕戦南アフリカGPに用意できたのは1台のみであった。これはエースであるロドリゲスに与えられたため、他のドライバーは前年に投入したP153を引き続き使用することとした。基本的に車体には大きな手が加えられていたわけではないが、エンジンを中心に改良が加えられた。そのエンジンは前年に引き続きバンク内にエアファンネルを備えるV型12気筒のBRM P142 Mk2であるが、エギゾースト形状の見直しで10HP程度パワーアップが図られ、約440HPを発揮していた。ギアボックスも引き続きBRM製の5速マニュアルであるP151を組み合わせる。なおダンロップが撤退したため、タイヤをファイアストンにスイッチしている。



ドライバーはエースのロドリゲスが残留したが、ジャッキー・オリバーは契約更新ならずチームを離脱した。またサードドライバーのジョージ・イートンもそれは同様であり、チームは新たにドライバーを起用することになった。セカンドドライバーにはロブ・ウォーカーからジョー・シフェールが移籍し、サードドライバーにはF5000選手権を戦っていた新人のハウデン・ガンレイを起用した。スポンサーは引き続きヤードレーがつく。エントラント名はヤードレー・チームBRM。



開幕戦南アフリカGP。新車P160はエースのロドリゲスが使用したため、シフェールとガンレイはP153を使用した。予選はシフェールが16位、ガンレイが24位に沈む。猛暑のレースでは振るわず、シフェールが31週目にオーバーヒート。



ガンレイもレース中に体調が悪化し、42週目にリタイヤとなった。



非選手権戦のレース・オブ・チャンピオンズ。シフェールは欠場し、その代わりにジョン・マイルズが起用された。マイルズは5番手からスタートし7位で完走。もう1台のガンレイは10番手からスタートし5位でレースを終えた。



アメリカのオンタリオ・モータースピードウェイで開催されたクエスターGP。前を走るのがロドリゲスのP160で、その後ろがガンレイのP153。後ろの赤いマシンはフォーミュラAのマシンで、ロン・グレイブルのローラT190シボレーである。第1ヒートで8位を得たガンレイだったが、第2ヒートでは11位に終わる。



第2戦スペインGPではシフェールもP160を使用したが、ガンレイはP153のままだった。予選17位からスタートしたガンレイは10位で完走。70年シーズン途中で大型化されたリアのオイルクーラーがよくわかる。



非選手権戦のインターナショナル・トロフィーでもP153をガンレイが使用した。第1ヒートを8位で終えたガンレイだったが、第2ヒートはクラッシュでリタイヤに終わる。このレースからリアのオイルクーラーが、P160と同様に2分割でウィングステー横に配置し、インダクションボックスを備える構造になった。ギアボックスもP160用の新型であるP161に換装されているかもしれない。



第4戦オランダGP。ガンレイは予選9位からスタートし7位で完走。



F1ルーキーということもあってか、ガンレイは第5戦フランスGPでも相変わらずP153だった。予選16位のガンレイは10位でフィニッシュ。



ロドリゲスを失った後の第6戦イギリスGPだが、ガンレイは引き続きP153を使用する。予選11位だったガンレイだが、レースでは8位で完走。



第7戦ドイツGP。P160はスポット参戦のヴィック・エルフォードに与えられ、ガンレイは相変わらずP153を宛がわれた。ここまで扱いの差があると、過去にF1に乗ったかそうでないかでチーム内には明確な序列があったようである。ガンレイは予選14番手からスタートしたが、たった2週でエンジンが壊れリタイヤ。



第9戦イタリアGPでは、第8戦オーストリアGPに続いてオーストリア人のヘルムート・マルコがスポット参戦しP153を使用した。予選12位を得たマルコだったが、わずか3週でエンジンが壊れリタイヤ。



第10戦カナダGPでもP153はマルコが使用した。予選19位からスタートしたマルコはトップから4週遅れの12位で完走。




71年のBRMはP153で得点を得ることはできなかったが、2勝を挙げて36点を獲得しコンストラクターズランキングは2位でシーズンを終えた。だがタイトルスポンサーのヤードレーは契約を更新せずにマクラーレンへ移ってしまった。それ以上にチームにとって大きな痛手だったのが、エースドライバーであるロドリゲスと、その後を継いでチームの成績を押し上げたシフェールという二人のドライバーの事故死であった。
最高位は予選9位・決勝7位の第4戦オランダGPで、いずれもガンレイによるものだった。




71年シーズンを最後にヤードレーからのスポンサーシップを失ったブリティッシュ・レーシング・モータースだったが、72年は新たにフィリップ・モリス社からマールボロのブランドで支援を受けることが決まった。またチーム体制には若干の変化があり、従来は常時3台体制に加え、スポットで4台目あるいは5台目を加えてレースに参加していたのだが、72年からは3台体制で挑む本隊と、それとは別に専属のメカニック達を配した「Bチーム」を組織したのである。Bチームの位置付けは本隊から劣るものであり、資金を持ち込んだドライバーが乗るサテライトチームであった。このBチームにはスペインあるいはオーストリアのマールボロから支援を得たドライバーが乗ることが決定した。



画像は72年シーズン開幕前のプレゼンテーションで、スペイン・マールボロの支援でBRMのシートを得たアレックス・ソーラー=ロイグがP153とともに写真に収まる。装いを新たに、BRMはタイトル獲得を狙い72年シーズンを迎えるのである。



開幕戦アルゼンチンGPではスペイン・マールボロの支援でシートを得たソーラー=ロイグが本隊から出走し、オーストリア・マールボロの支援でヘルムート・マルコがBチームのシートを得たため、オーストリア・マールボロBRMの名でエントリーしていた。マシンの外観としてはP160Bと同じくインダクションポッドを装備している以外には、特に変わった部分は無いように見える。
予選19位からスタートしたマルコは、半数が脱落する中10位で完走を果たした。



第2戦南アフリカGPでのP153。ここキャラミでも引き続きBチームのオーストリア・マールボロBRMからマルコが出走する。
マルコは最後方23番グリッドからスタートし、14位で完走。




P153はあくまでP160Bの数に余裕ができるまでの繋ぎであり、長く使われる予定ではなかった。ところが新車P180の躓きが、この旧型マシンの引退を遅らせることとなってしまうのである。予選最高位は開幕戦アルゼンチンGPの17位でウィセルが、決勝最高位は10位でマルコが記録した。





76年に英国内のフォーミュラ・リブレに参戦していたP153の1台。パーツの豊富なコスワースDFV搭載マシンとは違って駆動系の保守には苦労しそうだが、少なくともこの頃までは走っていたらしい。エギゾーストはP101用らしい上方に向けられたタイプを装着している。



P153はは7台が製作された。
P153-01は70年の開幕戦南アフリカGPで投入され、第2戦スペインGPまでオリバー車だった。スペインGPのアクシデントで炎上大破、おそらく廃棄されたと思われる。

P153-02は70年の開幕戦南アフリカGPで投入され、第5戦オランダGPまでロドリゲス車だった。オランダGPの予選で損傷しレースを退いている。

P153-03は70年の第2戦スペインGPで投入され、欠場した第4戦ベルギーGP・第8戦ドイツGP・最終戦メキシコGP、スペアカーとされた第9戦オーストリアGPを除いて第12戦アメリカGPまでイートン車だった。
71年は開幕戦南アフリカGPから第2戦スペインGPまでガンレイ車だった。
72年は開幕戦アルゼンチンGPでウィセル車となり、第2戦南アフリカGPでスペアカーだった。ブラジルGPではソーラー=ロイグが使用し、その後P153Bに改修されている。

P153-04は失われた01の代替として第3戦モナコGPでオリバーに与えられ、第10戦イタリアGPまで使用された。第11戦カナダGPでは急遽スペアカーの06と交換され、第12戦アメリカGPではウェストブリーが使用した。

P153-05は第5戦オランダGPでスペアカーとして投入されたが、予選中のアクシデントでマシンを壊したロドリゲスが予選から使用した。その後も最終戦メキシコGPまでロドリゲス車だった。

P153-06は第9戦オーストリアGPでスペアカーとして投入されたが、決勝でロドリゲスが使用した。第11戦カナダGPでも当初はスペアカーだったがオリバーが使用し、最終戦メキシコGPまでオリバー車だった。
71年は開幕戦南アフリカGPとスプリング・トロフィーでシフェールが使用した。第3戦モナコGPからはガンレイ車となり、第7戦ドイツGPまでとインターナショナル・ゴールドカップで使用された。
72年は開幕戦アルゼンチンGPと第2戦南アフリカGPでマルコ車だった。その後P153Bに改修されている。

P153-07は71年の開幕戦南アフリカGPでスペアカーとして投入され、第3戦モナコGPまで持ち込まれた。レース・オブ・チャンピオンズとホッケンハイムでの非選手権戦でマイルズが使用し、第8戦オーストリアGPから第10戦カナダGPまでマルコ車となった。最終戦アメリカGPではキャノンが使用している。P153では唯一の71年製シャシーである。

14/05/11 修正&追記
14/05/18 修正
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  1. 2014/05/11(日) 14:32:08|
  2. F1マシン
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