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BRM P139

69年シーズンは前年に投入していたP138を使用していたブリティッシュ・レーシング・モータースであったが、戦績的には今ひとつであり、チームはニューマシンの投入を計画した。同じ頃ペドロ・ロドリゲスが離脱してしまい、P126のパフォーマンスにも満足できず崩壊したレッグ・パーネル・レーシングの代表であったティム・パーネルがシーズン途中からBRMのチーム運営に加わり、体制の強化を図っている。



新車P139のデザインはトニー・ラッド指揮の下、デザイナーのピーター・ライトとトニー・サウスゲートが担当した。基本的にはP138の空力面を改良した車である。P138からの大きな変更点はエンジンと、その燃料消費を懸念したためか増加した燃料タンクである。その容量はP138の173リッターから大幅に増加し、205リッターとなっている。このためモノコックは側面が膨らんだ特徴的な形状をしており、それまでのV12搭載マシンとは判別し易い。トレッドは69年型のP138と変わらないが、ホイールベースは41mm延長された2426mmとなっており、一連のP126シリーズ内では最大となっている。69年シーズンはP138に新型V12を搭載して戦っていたBRMだが、そのP138のモノコックは不恰好な燃料タンクが張り出しており、空力面を考えて外形を整えたものと思われる。



エンジンはP101をベースにして69年に投入された、ジェフ・ジョンソンの設計による1シリンダーあたり4バルブの新型V12であるBRM P142を搭載した。P142は吸排気レイアウトを逆転しているのが特徴で、出力およそ420HPを発揮した。ギアボックスはP138と同じく、BRM製のP131を組み合わせる。



P139は第4戦オランダGPで初お目見えとなった。だがサーティースはこのマシンを好まなかったらしく、プラクティスで少し走っただけでレースに使うことはなかった。この件が発端となってチームとの関係が悪化のか、P139設計の指揮を執ったラッドはレース後にチームを離脱してしまった。これはチームにとって大きな痛手であり、第5戦フランスGPをBRMは欠場してしまった。後任のデザイナーには新加入のトニー・サウスゲートが昇格し、ピーター・ライトと共にマシン開発を担当していくことが決まる。



チームの地元である第6戦イギリスGPで、チームは復帰した。サーティースもP139をレースカーに選択している。予選は6位と悪くない位置だったが、レースでは1週したところでサスペンションが壊れリタイヤ。



第8戦イタリアGPで、ようやくセカンドのジャッキー・オリバーにもP139が与えられた。リアウィングはロードラッグ仕様である。オリバーは予選11番手からスタートしたが、エンジンの油圧低下に見舞われて48週目にリタイヤに終わる。



一方のサーティースだが、こちらのマシンは若干仕様が異なっていた。リアウィングはイギリスGPと同じタイプだが、ノーズコーンは横に幅広いインテークを持つタイプで68年前半戦の形状に似ている。予選10位からスタートしたサーティースだったが、トップから8週遅れで完走扱いにならず。



第10戦アメリカGPでは、完成したばかりのP139-03がスペアカーとして持ち込まれた。サーティースの01はイタリアGPとほぼ同じ仕様のようだが、オリバー車は不明。
予選はサーティースが11番手、オリバー14番手と中団に沈んでいたが、上位のリタイヤに助けられサーティースが3位表彰台を獲得。オリバーは23週目にエンジンが壊れリタイヤ。



最終戦メキシコGP。アメリカGPでスポット参戦したジョージ・イートンにもスペアカーのP139-01が割り当てられ、3台のP139がレースに参戦した最初で最後のレースとなった。
予選はサーティースが10位、オリバーが12位、イートンが18位につけた。レースではイートンが6週目にギアボックスのトラブルで脱落。続いてサーティースがやはりギアボックスのトラブルで53週目にリタイヤしてしまう。唯一トップから2週遅れで完走したオリバーが6位に入賞し1点を持ち帰った。




69年はBRMのチーム内で大きな変化が起きた年であった。それまで技術面の取り纏めを行っていたラッドはP139に関するゴタゴタでチームを離脱し、後を追うように空力を担当していたライトもチームを離れた。68年から69年にかけてのこの頃、彼ら二人の手で空力を意識した新しいF1マシンに関する研究がなされていたが、この離脱劇は研究中のマシンに関する一切をチームが放棄することを意味していた。
そして元ワールドチャンピオンとして迎え入れられたサーティースであったが、チームに対する不満から自分でチームを立ち上げることを選び、わずか1シーズンでBRMと決別してしまった。
またエンジン設計を担当してきたジェフ・ジョンソンもモーリスに移籍してしまう。エンジン部門はジャガーから移籍してきたピーター・ウィンザー-スミスがその穴を埋めた。ファクトリーではサウスゲートとアシスタントのデイブ・ワスが来シーズンに向けてニューマシンの設計に取り組んでおり、チームは再出発を図ることとなる。
予選最高位は第6戦イギリスGPの6位、決勝最高位は第10戦アメリカGPでの3位で、いずれもサーティースによるものだった。69年は入賞わずか3回に留まり、完走回数の差でフェラーリに僅差で勝ったものの、コンストラクターズランキング5位に沈む。BRMより上位のチームは全てフォード・コスワースDFVを搭載しており、より強力なマシンの開発がBRMには求められていた。




69年は多くのエンジニアが離脱し、混乱を生じたブリティッシュ・レーシング・モータース。3リッター規定下での低迷から挽回を図るべく、70年はチームの体制に手を加えて再出発を図った。開幕戦からトニーサウスゲートの手によるニューマシンP153を投入したチームであったが、完成が間に合ったのは2台のみであり、3カー体制を敷くチームには数が足りていなかった。



結局サードドライバーのジョージ・イートンには、旧型P139を割り当てるしかなかったのである。69年からは大きな変化はないが、リアウィングはP153用に交換されているようだ。
エンジンは新たに、ピーター・ウィンザー-スミスがヘッド周りを再設計した新型のV12であるBRM P142 Mk2を搭載する。これは前年投入したP142をベースにしているが、吸排気のレイアウトは再び逆転しているのが外見上の特徴である。バンク間にインテーク、外側にエギゾーストを配置し、1シリンダー当たり4バルブに進化した。出力425HPを発揮する。
キャラミでは予選23位と下位に沈み、レースでも58週目にエンジンが壊れリタイヤとなった。



非選手権戦のレース・オブ・チャンピオンズ。ここでは新たにチームのスポンサーとなったヤードレーのカラーリングがお披露目となったレースだったが、なぜかイートンのP139は塗られていなかった。エントリーもジャッキー・オリバーとイートンの2人のみだったのでマシンにも余裕があったはずだが、P139が使用されている。
予選11位からスタートしたイートンだったが、電気系統のトラブルでリタイヤ。これがP139の走った最後のレースだった。以後はイートンにも新車P153が与えられ、P139を置き換えている。



P139は3台が製作された。
P139-01は69年の第4戦オランダGPでスペアカーとして投入された。第6戦イギリスGPから第10戦アメリカGPまでサーティース車となり、最終戦メキシコGPでイートン車になっている。

P139-02は69年の第8戦イタリアGPで投入され、最終戦メキシコGPまでオリバー車だった。
70年は開幕戦南アフリカGPとレース・オブ・チャンピオンズでイートンが使用している。

P139-03は69年の第10戦アメリカGPでスペアカーとして投入された。最終戦メキシコGPでサーティースが使用している。
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  1. 2014/04/13(日) 16:32:19|
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