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BRM P126



66年に投入したH型16気筒エンジンでの躓きから、ブリティッシュ・レーシング・モータースはBritish Racing Misery(悲惨なブリティッシュレーシング)やら、バッド・レーシング・マネジメントなどとありがたくないニックネームを頂戴するにまで至ってしまった。67年シーズン終わり頃にはGr.6スポーツカー用のV型12気筒エンジンをカスタマーであるマクラーレンに供給したBRMだったが、複雑なH型16気筒に比べてこのエンジンの感触は悪くなさそうであり、技術面の責任者であるトニー・ラッドとエンジン設計を担当したジェフ・ジョンソンはBRMのワークスチームでもV12エンジンの採用に踏み切ることとした。だがこの頃のBRMは他の業務への忙殺などで開発のリソースが全く割けなかったため(前年使用したP115もV12搭載には適さず、また車体も重いため流用はできなかったと思われる)、F1マシンの製作を外部へ委託することとしたのである。
ここで選ばれたのが、ロータス33やイーグルT1Gを手がけたレン・テリーだった。テリーは66年にダン・ガーニーの依頼でイーグルT1Gを設計したが、BRMのニューマシンはこの車の反省を踏まえて軽量コンパクトなマシンにしようと考えた。



サスペンションはフロントがロッキングアーム、リアはダブルウィッシュボーンでイーグルT1Gを踏襲する。ホイールベースはT1Gから76mm短いが、トレッドは前後とも26mm拡大された。車重はやや細身なこともあってか、T1Gより15kg軽い565kgになっている。その製作もテリーのワークショップで行われており、BRM側のエンジニアは全くこの車には噛んでおらず、BRMが提供したのは搭載するエンジンのみという、BRM史上で初めて外部で製作されたマシンとなった。テリー側での開発番号はLT11となっている。ちなみにイーグルT1GはLT9であった。外観的には垂れ下がったノーズコーンと、コクピットカウル前方のエアインテークが特徴的である。
またタスマン・シリーズで使用していたP261もアップデートで戦闘力を高めようとはしていたが、流石に設計が古くロータスに対抗できなかったため、68年シーズンは2.5リッターの新型エンジンをP126に合わせて設計し、同時に投入することとした。



この新型エンジンが、ジェフ・ジョンソンがGr.6スポーツカー用に設計した3リッターV型12気筒のP101をベースに、排気量を2,493ccに縮小して設計したV型12気筒のP121である。P121はP101に比べてショートストロークだったため、レブリミットも500rpm高かった。ギアボックスも適切なものが開発できていなかったためにBRM製ではなく、イーグルT1Gが搭載したものと同じ、ヒューランドの既製品であるDG300を組み合わせた。



ドライバーはH型16気筒マシンにうんざりし、また古巣のティレルがF1へ参戦を決めたため、エースドライバーのジャッキー・スチュワートが移籍していった。セカンドだったマイク・スペンスは残留したが、新たにクーパーからペドロ・ロドリゲスが移籍してきた。エントラント名はオーウェン・レーシング・オーガニゼーション。



開幕戦ニュージーランドGP。ロドリゲスは新車を好まず旧型P261を選択。もう一台のドライバーにはマクラーレンチームの創設者で地元出身のブルース・マクラーレンを起用した。予選5番手だったマクラーレンだが、レースではインジェクションが壊れリタイヤに終わる。



第4戦テラトンガ・インターナショナル。ここではロドリゲスもP126を使用した。予選はマクラーレンがフロントローの3番手、ロドリゲスが5番手につける。レースではマクラーレンが見事優勝。だがロドリゲスはエンジントラブルでリタイヤに終わった。



タスマン・シリーズに2台のP126を送り込んでいたため、同時期に開催された開幕戦の南アフリカGPに持ち込まれたのは最後に完成した03のみの1台だった。マシンが足りないためセカンドカーには前年使用したP115をやむを得ず投入している。



エンジンはBRMが68年のスポーツカー世界選手権用に新たに開発した、3リッターV型12気筒のP101を搭載する。これは基本的にはP56の技術の延長線上にあるエンジンで、冒険した要素は何一つない堅実な設計のものだった。前年は重く複雑なH型16気筒のP75に苦しめられたチームであったが、ジョンソンはP56の技術をベースに4つシリンダーを追加し、バンク角を60度に修正するような形でこの新型V12を設計した。バルブ数は1シリンダー当たり2つのDOHCで、390HP程度と出力はやや控えめであったが、重いだけのP75に比べれば随分とマシになっていた。67年のシーズン中にはマクラーレンに供給され、F1デビューを果たしている。P56の最終仕様であるP68ヘッドと同様、吸気ポートをカムシャフト間に配置したのが外観上の特徴である。
P126はロドリゲスに与えられた。予選10位からスタートしたロドリゲスだったが、点火系のトラブルでリタイヤに終わる。



舞台がオーストラリアに移る後半戦。第5戦サーファーズ・パラダイスからは、マクラーレンに替わりリチャード・アトウッドが参戦することになった。予選9位を得たロドリゲスは10位で完走。アトウッドは予選10位からスタートしたが、燃料系の不調でリタイヤ。



第6戦ワーウィックファーム・インターナショナルでは、新車の信頼性にうんざりしたロドリゲスがP261を選択。P126はアトウッドが使用した。予選13位からスタートしたアトウッドはギアボックスが壊れリタイヤ。



第7戦オーストラリアGPは両者ともP126でレースに挑んだ。予選8番手のロドリゲスはエンジントラブルでリタイヤに終わったが、アトウッドは11番グリッドから5位に入賞。



最終戦サウスパシフィック・トロフィー。アトウッドが5番手、ロドリゲスが7番手からスタートし、ロドリゲスが2位表彰台を獲得。アトウッドも5位入賞と上々の成績だったが、時既に遅し。



タスマン・シリーズでは新車を先行投入したBRMだったが、搭載したP121は回転数が上がったためか熱の問題が発生し、点火系と燃料系に悪影響を与えていたとされる。結局この問題が足を引っ張り、P126はタスマン・シリーズでろくな結果も残せずに終わってしまった。マクラーレンが1勝を挙げてランキング6位、ロドリゲスが7位、アトウッドは10位に終わっている。



選手権を席巻したのはBRMと同じく新型の2.5リッターマシンを投入したロータスと新規参戦のフェラーリで、BRMはジム・クラークとクリス・エイモンに全く歯が立たなかったのであった。




ヨーロッパでの最初のレースとなる非選手権戦のレース・オブ・チャンピオンズ。ここではニューマシンP133がロドリゲスに与えられており、P126はセカンドのスペンスが使用した。予選2位を得たスペンスだったが、レースではエンジントラブルでリタイヤ。

第2戦スペインGPを前に、チームに悲劇が訪れる。ドライバーのスペンスがインディ500のテスト中に事故死してしまったのである。このためスペインGPはロドリゲスのみの1カー体制に縮小した。



第3戦モナコGP。ワークスチームはロドリゲスに加えてクリス・アーウィンを起用する予定があったが、彼もスポーツカーレースで負傷したために実現しなかった。
サテライトチームのレッグ・パーネルはピアス・カレッジをドライバーに据えてスペインGPからエントリーしていた。予選11番手だったカレッジだが、レース中にサブフレームが壊れハンドリングに支障を来たし、リタイヤに追い込まれた。



またパーネルはワークスのスペアカーを使ってアトウッドをエントリーさせた。アトウッドは予選6位からスタートし、スペンスを失ったBRMにとっては嬉しい2位表彰台を獲得。



第5戦オランダGP。ニューマシンP133はモナコGPまでにロドリゲスが2回も壊し、卸し立てのP133-02がオシャカになったため修理されたP133-01がロドリゲスに回された。
アトウッドはセカンドとしてBRMに加わったが、マシンが無いのでP126を宛がわれた彼が割を食う形となった。予選15番手のアトウッドは7位まで追い上げてレースを完走。



第6戦フランスGPでは、レッグ・パーネルのカレッジが奮闘。予選14位からスタートした彼は6位まで順位を上げて1点を獲得。ワークスのアトウッドは予選12位だったが、順位を落としてカレッジの後ろ7位で完走。



チームの地元である第7戦イギリスGP。アトウッドは予選15位からスタートしたが、10週目にラジエターが壊れリタイヤ。インテーク形状の異なるノーズが装着されている。



レッグ・パーネルのカレッジは予選16番手だったが、完走した中では最下位の8位でレースを終えた。



第8戦ドイツGP。予選8番手とBRM勢で最上位につけたカレッジはそのまま8位で完走。このレースからリアウィングを装着するようになった。



第9戦イタリアGPでは、68年インディ500ウィナーのボビー・アンサーがスポットで参戦。予選は21番手相当のタイムを出していたが、同郷のマリオ・アンドレッティと同じく、アメリカのレースに参戦した場合はイタリアGPへのエントリーを禁止するという決定に従ったためレースを走らずに終わった。



レッグ・パーネルのカレッジは予選17番手だったが、完走6台と大荒れのレースを生き残り4位に入賞。




テリーの製作したP126は予選では中団に位置することが多く、レースではしばしばポイントを持ち帰ったことからも、H型16気筒のマシンに比べればずっといい車だった。開発が進めばイーグルT1Gのようにもっといいマシンになったとは思われるが、不幸にも開発を担当するはずだったスペンスの事故死によってそれは停滞し、またチームも外部で製作されたP126の開発に対して、設計者であるテリーにアドバイスを求めるようなことはしなかった。P126は車体はおろかギアボックスに至るまでBRM内製ではなく、それまでチームで全てを製作してきた彼らにとっては、この車は恥ずべき外様のようなものだったのだろう。P126のコピーであるP133を皮切りに、チームではラッド以下の技術陣が独自に開発を行いながらニューマシンの製作を進めていったのである。最高位は予選6位、決勝2位の第3戦モナコGPで、アトウッドによるものだった。





69年、ブリティッシュ・レーシング・モータースは前年に投入したP138、P133を使用したため、P126は引き続きサテライトチームであるレッグ・パーネル・レーシングに貸与された。仕様的には68年とほぼ変わらず、ウィングが大型化した程度である。ドライバーはペドロ・ロドリゲスがそれなりにいい成績を残したにもかかわらずワークスチームを追い出されたため、古巣のパーネルに戻ってきた。



開幕戦南アフリカGP。ロドリゲス予選は15位に沈む。レースでも冷却水漏れによりリタイヤと全く冴えない。



ヨーロッパに戻って最初のレースはレース・オブ・チャンピオンズである。11番手を得たロドリゲスだったがエンジンのミスファイアでリタイヤに終わる。



インターナショナル・トロフィーはワークスチームがエンジンの事情で欠場。ロドリゲスは予選11位からスタートし8位でレースを終えた。



第2戦スペインGPでは予選14位だったロドリゲス。レースは73週目にエンジンが壊れリタイヤに終わった。



第3戦モナコGP。予選14位からスタートしたロドリゲスだが、15週目にまたしてもエンジントラブルでリタイヤに終わる。P126のパフォーマンスにはロドリゲスもうんざりしていた。ワークスチームは新型V12であるP142を投入していたが、サテライトチームであるレッグ・パーネルにはこのエンジンは回されてこなかった。結局彼らのパフォーマンスは低いままだったのである。モチベーションを失ったロドリゲスは声をかけてきたフェラーリと契約し、スポーツカーレースに去っていってしまった。ドライバーを失ったレッグ・パーネルはそのまま活動を停止してしまう。予選最高位は第2戦スペインGPと第3戦モナコGPの14位、決勝完走は無しであった。




またこの頃にはチーム内でトニー・ラッドとピーター・ライトがニューマシンのデザインについて研究を進めていたのだが、その技術を実証するべくテストが行われることが決まり、余剰となっていたP126の1台がテストベッドとして改装されることになった。コクピット側面にはその研究に基いたデザインの構造物が取り付けられている。



だが計測機器が現代のものほど優れておらず、テスト中に何か有用なデータが得られたわけではなかった。ラッドもこのP126でテストをする頃にはチームを離れてしまい、結局は何の収穫ももたらさないままに終わってしまう。この時期のBRMはかなり混乱していた。



P126は3台が製作された。
P126-01は68年のタスマン・シリーズ開幕戦ニュージーランドGPで投入され、第4戦テラトンガ・インターナショナルまでマクラーレン車だった。第5戦サーファーズ・パラダイスと第7戦オーストラリアGPではロドリゲスが使用した。第6戦ワーウィックファーム・インターナショナルと最終戦サウスパシフィック・トロフィーではスペアカーだった。インターナショナル・トロフィーからレッグ・パーネルに貸与され、最終戦メキシコGPまでカレッジ車だった。
69年も開幕戦からロドリゲス車として、レッグ・パーネルで第3戦モナコGPまで使用された。

P126-02は68年のタスマン・シリーズ開幕戦ニュージーランドGPでスペアカーとして投入された。第2戦レビン・インターナショナルと第4戦テラトンガ・インターナショナルではロドリゲス車だった。第5戦サーファーズパラダイスから最終戦サウスパシフィック・トロフィーまではアトウッド車となっている。第3戦レディ・ウィグラム・トロフィーではスペアカーだった。インターナショナル・トロフィーでもスペアカーとなっている。その後は第6戦フランスGPから第8戦ドイツGPまでスペアカーとして持ち込まれた。

P126-03は68年の開幕戦南アフリカGPでロドリゲス車として投入された。インターナショナル・トロフィーから第8戦ドイツGPまではアトウッド車となっている。インターナショナル・ゴールドカップではロドリゲスが使用し、第9戦イタリアGPではアンサーが使用した。第11戦アメリカGPではアンサーのスペアカーになっている。
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  1. 2014/03/02(日) 03:11:08|
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