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BRM P115

ブリティッシュ・レーシング・モータースが66年シーズン中に投入したH型16気筒エンジンを搭載するマシンP83であったが、開発に手間取りレースに出走したのはシーズン終わりに近い時期だった。そしてP83は車体重量がとにかく重いという弱点を抱えていたのだが、これはエンジン及びギアボックスに拠る所が大きかった。だが重量を削らなければせっかくの大パワーも生かせないので、チームはとにかくエンジンとマシンの改修を急いでいた。エンジンについては若干ながら軽量化を果たしたタイプが66年中に投入できたが、これはマシン全体で見れば雀の涙のようなものだった。車体側も軽量化したニューマシンの設計はチーム内で進められ、67年の第3戦オランダGPでデビューすることとなる。



P83の弱点を解消すべく軽量化されたニューマシンがP115である。デザインはP83に引き続き、トニー・ラッドが担当した。見た目にはP83に類似しているが、モノコックはマグネシウム合金でできており、車重はP83の690kgから50kgも軽量化されていた。それでもまだ640kgとやや重いのだが。モノコック上面にはNACAインテークが装備されるのも特徴である。ロールバーは前方に向かって2本のステーが伸びており、P83とは形状が異なる。ラジエター配管も露出する67年型のP83とは違い、車体外部には露出していない。ホイールベースは130mm長く、トレッドはフロントが77mm、リアが100mm拡大されている。



リアサスペンションはアッパーアーム形状が変更された、67年型のP83と同型である。このため車体にはロワアーム側のマウントが存在するが、P83に存在したアッパーアームのマウントは存在しない。これらがP115とP83を見分ける判別点となる。
エンジンはP83と同じく、66年シーズン後半に投入されたMk2スペックのBRM P75を搭載した。出力およそ420HPで、これにBRM P82ギアボックスを組み合わせる。



完成したP115はエースドライバーのジャッキー・スチュワートに委ねられた。だがオランダGPではプラクティスで使用されたのみで、レースではP83が使われている。



チームの地元である第6戦イギリスGP。だがここでもP115は使われず、プラクティスで走ったのみだった。



第7戦ドイツGPで、ようやくP115がレースカーとして投入された。スチュワートがフロントローの予選3位を得て結果が期待されたが、5週目にデフが壊れリタイヤに終わる。



第8戦カナダGPでは予選9位を得たが、レースではスロットルのトラブルでスピンしリタイヤに終わった。



第9戦イタリアGP。予選9番手とまずまずの位置につけたスチュワートだが、45週目にエンジンが壊れリタイヤ。



第10戦アメリカGPにスペアカーは持ち込まれず、レッグ・パーネルチームに貸与されていたP83がその役目を担っていたようだ。スチュワートは予選10位からスタートしたが、72週目にインジェクションが壊れリタイヤ。



最終戦メキシコGPでも今ひとつ、予選12位に位置したスチュワートは24週目にエンジンが壊れリタイヤ。結局P115は、67年シーズンに参戦したレースで完走を記録することはできなかった。



かねてから開発の進められてきた大改良型のP75であるP754は、67年シーズンの後半に実機が完成した。これはウェスレイク・リサーチが製作した187.5ccの単気筒エンジンで実証された4バルブヘッドを装備したモデルである。P754はP75のウィークポイントである重量を軽減するため、チームは180.5kgをターゲットにエンジンの軽量化を狙った。エンジンブロックはマグネシウム合金で製作され、鋳鉄製のP75に比べて大幅に軽量化された。画像は現存するP754であるP75-7541で、エンジンブロックは黒味がかかっている。



シリンダーヘッドは新開発の1気筒あたり4バルブとなるもので、ガーニー・ウェスレイクV12やフォード・コスワースDFVと同じく、それまでよりも狭いバルブの挟み角を持っている。エアファンネルの配置も上下の幅が詰まっており、外観からも従来のP75とは全く異なっている。従来のP75では、フィンが切られて中央にBRMの文字が刻まれたP56と似たカムカバーを装備していたが、P754では丸みを帯びた黒いカムカバーになっている。
出力的には500HPをターゲットにしていたこのエンジンだったが、完成した頃には既にスポーツカー向けを転用したV型12気筒がマクラーレンに供給されることになり、BRM内部でもH型16気筒エンジンの開発は放棄されることが決まってしまった。結局P754がレースで使われることは無くなってしまった。P754は68年末から69年初頭にかけて8回のベンチテストが行われたが、その試運転での最高記録は10300rpmで378HPという出力であった。



P115、そしてP83に搭載されたH型16気筒エンジンは、ついにBRMの手によって勝利を挙げることはなかった。チーム・ロータスが66年のアメリカGPで唯一勝利を挙げたのみである。そのロータスも66年限りでこのエンジンに見切りをつけ、67年には伝説の名機であるフォード・コスワースDFVを登場させるに至った。一方のBRMは67年もこのエンジンを使い続けたが、彼らは年間予算の40パーセントを費やしながら、その対価に見合う結果を得ることはできなかった。ラッドは後に「最初にV12の開発を行い、16気筒については後で着手すべきだった」と述懐したが、全ては後の祭りだった。もし66年からV12を投入していれば、チャンピオンを獲得していたのはBRMだったかもしれない。シーズン終盤にはスポーツカー向けに開発されていた新型のV12気筒エンジンがマクラーレンに投入され、これが軽量でそこそこの出力を出していたことから、ワークスチームもV12の開発に方向を転換することが決まる。こうして68年シーズンに向け、BRMは全くのニューマシン、新しいV12エンジンで挑むことが決まった。
予選最高位は第7戦ドイツGPの3位でスチュワートが記録した。決勝は全てリタイヤに終わっている。





P115最後のお勤めは、68年の開幕戦である南アフリカGPであった。ブリティッシュ・レーシング・モータースでは既に68年用のマシンであるP126を完成させていたが、このマシンはタスマン・シリーズにも投入しなければならない都合から、キャラミに持ち込めたのは1台だけであった。これは新たにチームに加わったペドロ・ロドリゲスが使用し、マイク・スペンスはP115を選択している。



なおラジエター配管はレースウィーク中に改修したのか、モノコック上を這うように変更が加えられている。13番グリッドについたスペンスだったが、レースでは7週目に燃料のパーコレーションでエンジン不調になりリタイヤ。
このレースが、H型16気筒が姿を現した最後のレースだった。



P115は1台が製作された。
P115-1151は67年の第3戦オランダGPで投入され、第5戦フランスGPと第6戦イギリスGPでスチュワートのスペアカーだった。第7戦ドイツGPから最終戦メキシコGPまでスチュワート車になっている。
68年は開幕戦南アフリカGPでスペンス車だった。

14/03/21 修正
15/06/27 修正&追記
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  1. 2014/02/10(月) 02:32:35|
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