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BRM P83

64年シーズン中、F1の規定が変更されて排気量が3リッターとなることが決定した。これは66年から施行されることが決まったのだが、ブリティッシュ・レーシング・モータースでもこの規定に対応してエンジンを新たに開発することとした。ここでBRMは、かつてBRMに所属し、60年代初頭にウェスレイク・リサーチを設立していたハリー・ウェスレイクとオーブリー・ウッズに意見を仰いだ。BRM側が提示したのは、従来使用してきた1.5リッターV8のP56を上下に連結したH型16気筒エンジンで、一方ウェスレイク側は1気筒あたり4バルブの、完全新設計となるV型12気筒エンジンを提示してきた。V型12気筒は確かにシンプルで扱い易いものに思われたが、全長が長く狭いことで、車体の強度部材に使用した際に問題が起きるのではないかと懸念された。また64年には、4バルブヘッドのP64で開発に失敗している。BRMを率いる立場であったアルフレッド・オーウェンは、ひとまずウェスレイクに4バルブの単気筒エンジンを試作させてエンジンの実証をさせることにした。
それとは別にラッドの考えとしては、大と小二つの種類のピストン、そしてシリンダーライナーを用意すれば、シリンダー数の違いで複数のエンジンが製作できるというものがあった。一つは大きいピストンを使った1リッター4気筒のF2エンジン。二つ目は小さいピストンを使った1.5リッターのF1用V8エンジン。三つ目は大きいピストンを使ったスポーツカー用2リッターV8エンジン。最後は小さいピストンを使った66年のF1用3リッターH16エンジンである。これらはそれぞれF2用のP80、F1用のP56、Gr.6のP60、F1用のP75となる。このように少ないリソースで多くの展開を見込めたことからも、H型16気筒エンジンの開発が選択された面もあったようだ。最終的にはオーウェンの決定により、BRMはH型16気筒エンジンの開発を行うことになった。
65年シーズンはチャンピオンを獲得できずに終わったBRMであったが、この頃2リッターV8の製作や外部からの請負仕事もあり、肝心のニューマシンの製作は遅れが生じていた。また65年の7月、ライバルであったチーム・ロータスがBRMのエンジンを搭載することを決めたため、彼らにもこのH型16気筒エンジンが供給されることが決まった。66年にはロータスからの求めに応じて、このH型16気筒エンジンの排気量を4.2リッターに拡大した、つまりタスマン用2.1リッターエンジンを二段重ねにしたようなインディ用エンジンのP96が開発されることになる。



排気量が3リッターとなった66年シーズンを戦うために用意されたのが、このP83である。デザインはラッドが担当した。



基本的なマシンのラインは前作P261を踏襲するが、3リッターのエンジンに対応するためにそのサイズは大型化している。サスペンションはフロントがロッキングアーム、リアがダブルウィッシュボーンとP261と同様である。車体もP261と同じくモノコック構造となる。燃料タンク容量は221リッターで、見るからに車体が大きい。タンクはコクピット横に配置されるため、モノコック幅はP261の2割増し程度には見える。



P83のサイドビュー。V8とほとんど変わらない長さなので当然なのだが、マシンの全長は16気筒エンジンの割にはかなりコンパクトである。そのかわり、幅の方は……。発表時はかなりすっきりしたラインをしていたが、その姿は次第に醜く変貌していくこととなる。ラジエターの配管は発表時はカウル内に配置されていたが、この画像ではモノコック側面に移設されている。



エンジンは前述の経緯で開発された、新型の3リッターH型16気筒であるP75を搭載した。構造的には1.5リッターV8であったP56のバンク角を180度にした上で、上下に重ねたようなものである。



上下に存在する二つのクランクシャフトはアイドラーギアで接続され、アッパークランクのパワーがロワクランクのパワーを倍化させ、ロワ側に出力としてアウトプットされる。…このエンジンはV8を二段重ねにしたような構成なので、クランクシャフトが2本存在するのである。P75の設計はP56を手がけたジェフ・ジョンソンが担当した。1シリンダー当たり2バルブのDOHCという構成もP56と同じで、66年のエンジンとしては驚異的な400HPを発揮する。P56の出力は205HP程度であったので、やはりエンジン2基分ほどのパワーが発揮されていた。燃料供給はルーカス製のフューエルインジェクションが装備された。全長はV8のP56とほぼ同じだが、全幅は6cmほど広く、高さは47.6cm大きかった。ギアボックスはP75に合わせて設計された、6速マニュアルのBRM P82が組み合わされる。このエンジンをストレス・マウントでモノコックにドッキングした。



またP75は頑丈に設計されたエンジンブロックのために重量が252kg近くあり、ロータスは運ばれてきたP75をファクトリーに搬入するのに6人の人手が必要なほどであった。さらにギアボックスのP82も単体で53.5kgの重さがあった。恐ろしいことにこのパワートレーンだけで、実に300kgの重量があったのである。P83の車体重量は690kgであったが、実にその半分近くがエンジンとギアボックスで占められていた。ちなみに66年規定の最低車体重量は500kgである。



ドライバーは前年と同じくグラハム・ヒル、ジャッキー・スチュワートのコンビである。エントラント名はオーウェン・レーシング・オーガニゼーション。



開幕戦モナコGPでは、持ち込めたのは8301の1台のみだった。ヒルのスペアカーとなったP83だが、プラクティスではP261から8秒も遅かったのでレースでは使用されず。



第2戦ベルギーGP。2台のP83に加えてバックアップ用に2台のP261が持ち込まれ、チーム・ロータスもタイプ43を初投入とH型16気筒エンジンが本格的にレースに挑んだ週末であった。だがBRMのドライバーは両者とも旧型P261で走ることを選択し、P83はプラクティスを僅かに走ったに留まる。

P82ギアボックスのトラブル解消のため、地元となる第4戦イギリスGPにはH型16気筒マシンはBRM、ロータスともに持ち込まれなかった。



第7戦イタリアGPではP75のMk2スペックが投入された。これはクランクピンの数が8つに変更され、大きなカウンターウェイトを使用していた初期型に比べ軽量化がなされたもので、右側が新型クランクである。このパーツの投入でエンジンパワーも向上し、420HPを発揮するに至っている。ギアボックスもクラッチ周りの設計を変更した新タイプがワークス、ロータスともに装備された。



ニューシャシーの8303もスチュワートに用意され、バックアップは1台のP261と万全の布陣で臨んだチームだったが、予選はスチュワート9番手、エンジンが不調になったヒルはタイムを伸ばせず11番手に沈む。レースはヒルのエンジンが1週目に壊れリタイヤ。スチュワートも燃料漏れで6週目にリタイヤし結果は期待外れなもので終わってしまう。



非選手権戦のインターナショナル・ゴールドカップ。スチュワートが3位、ヒルが4位と予選で続いたが、レースではヒルがエンジントラブル、スチュワートがオーバーヒートでダブルリタイヤ。



第8戦アメリカGPでは、ここを得意とするヒルが予選5番手に食い込んだ。スチュワートもそのすぐ次の6位に並ぶ。レースでは52週目にヒルのマシンはデフが壊れ、その次の週にスチュワートもエンジントラブルでリタイヤ。チームには微妙なことに、ここでロータス43を駆ったジム・クラークが、H16気筒エンジンの初勝利を挙げていた。



最終戦メキシコGP。偉大なるご先祖であるP15に倣ったわけではないだろうが、冷却の確保のためかノーズコーンが大きくカットされ、かなり不細工な表情になってしまっている。ここでもヒルが予選7位、スチュワート11位と沈む。レースもヒルが18週を走ったところでエンジンが壊れ、スチュワートも26週目にオイル漏れでBRM勢はダブルリタイヤ。



66年は開幕戦からP83を持ち込むことはできていたBRMだったが、マシンの開発に遅れてレースでの使用が先延ばしにされた。またチームの対応力を超える仕事が外部から入ったことで、P83の開発も後回しにされてしまったことも停滞を招いた要因の一つだった。結局暫定マシンのP261に頼り続けた結果、P83は投入されたレースで完走を記録することができなかったのである。66年は屈指の大パワーであったP75だが、信頼性と投入の遅れからブラバムに信頼性の勝るレプコV8で出し抜かれ、王座は彼らの手に渡ることとなる。チームでは問題の多いP75の改良に取り組むべく、開発を続けるのだった。
予選最高位は第8戦アメリカGPでの5位で、ヒルが記録した。決勝では出走した3レース全てでダブルリタイヤと苦しい結果に終わっている。だがP261で稼いだ22点もあり、コンストラクターズランキングは4位であった。





67年、ブリティッシュ・レーシング・モータースは前年に引き続き、H型16気筒エンジンを投入することとした。マシンも引き続きP83を使用する。エンジンも前年終盤に投入した、BRM P75のMk2スペックを使用する。ギアボックスもBRM P82で変わらない。大きな変更点は、冷却の問題があったのかモノコック側面に配置されていたラジエターパイプが、モノコック上面を通るようになったことである。またタイヤはそれまでのダンロップから、グッドイヤーにスイッチした。



ドライバーはグラハム・ヒルがロータスに移籍したため、セカンドだったジャッキー・スチュワートがエースに昇格した。空いたシートにはレッグ・パーネルに所属していたマイク・スペンスが移籍してきた。エントラント名はオーウェン・レーシング・オーガニゼーション。



開幕戦南アフリカGP。露出したラジエター配管は空力面で悪影響がありそうだが、モノコック側面では冷却の問題があったものと思われる。前年と同じく予選から中団に沈み、スチュワートが予選9位、スペンスが13位であった。レースではスチュワートが2週目にエンジンが壊れ、スペンスも31週目にオイル漏れでダブルリタイヤ。



ヨーロッパに戻ってから、P83には改修が加えられた。画像はスプリング・トロフィーでのP83。リアサスペンションは形状が変更され、アッパーアームは四角形になっている。
スペンスの8302はラジエターパイプが無塗装なのに対して、スチュワートの8303は色が塗られている。ラジエターインテークも変更点の一つで、66年は下辺に角度がついていたのに対して、このレースから下辺のラインが水平になったものを装備するようになった。



決勝ヒートはスチュワートが4番手、スペンスが6番手からスタートしたが、スペンスが6位で完走したに留まる。スチュワートはリタイヤだった。



インターナショナル・トロフィーでは、スペンスがレッグ・パーネル・レーシングから出走したためスチュワートのみの1カーがエントリー。ポールポジションを獲得したスチュワートだったが、レースは無情にもデフが壊れリタイヤに終わる。



第2戦モナコGP。スチュワートは鈍重なP83ではなく、旧型P261を選択した。スペンスはP83を使用している。予選12位からスタートしたスペンスは6位に入賞、1点を得る。



第3戦オランダGPではニューマシンP115が持ち込まれたが、これはスペアカー扱いに留まる。予選はスチュワート11番手、スペンス12番手と並んだが、スチュワートは51週目にブレーキのトラブルでリタイヤ。スペンスはトップのジム・クラークが駆るロータス49から3週遅れの8位でレースを終える。



第4戦ベルギーGPは2台のP261がスペアカーとして持ち込まれたが、レースでは使用されなかった。ロータスとブラバムのリタイヤにも助けられ、スチュワートが予選6位から2位表彰台を獲得。スペンスも予選11位から5位とBRMがダブル入賞。レースウィナーはイーグル・ウェスレイクと番狂わせのレースだった。



チームの地元である第6戦イギリスGP。P115は持ち込まれたがスペアカーで、二人のドライバーはP83を使用した。予選12位からスタートしたスチュワートは20週目にギアボックスが壊れリタイヤ。予選11位のスペンスも44週目に点火系のトラブルでリタイヤと不甲斐ない結果に。



第7戦ドイツGPではスチュワートがレースカーにP115を使用し、スペンスがP83を使用した。このためかねてからBRMのサテライトチームとして活動していたレッグ・パーネルにP83が1台貸与されている。スペンスは予選11位からスタートしたが、3週目にデフが壊れリタイヤ。レッグ・パーネルのクリス・アーウィンは予選15位からレースを走り切り、トップから2週遅れの9位だった。



第8戦カナダGP。予選10位のスペンスはトップから3週遅れでチェッカーを受け、5位に入賞して2点を持ち帰った。



予選11番手のアーウィンは18週目にスピンしてリタイヤ。



第9戦イタリアGPはスペンスがP83を使用し、スチュワートはプラクティスでP83を走らせたが、レースカーはP115だった。



予選12位からスタートしたスペンスは5位で完走、貴重なポイントを得た。
レッグ・パーネルのアーウィンは16番手からスタートしたが、インジェクションが壊れ16週目にリタイヤ。



第10戦アメリカGP。スペンスは予選13位、アーウィンはそのすぐ後の14番手だった。レースではスペンスが35週目にエンジントラブルでリタイヤ。アーウィンも後を追うように41週目にコンロッドが壊れリタイヤ。P115のスチュワートもレース後半にリタイヤとBRM勢は全滅。



最終戦メキシコGP。スペンスは予選11位からスタートし、クーパー・マセラティを抑えて5位に入賞と上々の結果。レッグ・パーネルのアーウィンは予選15位だったが、レースではオイル漏れが起こり33週目にリタイヤ。




67年は多少信頼性が改善されたが、P83のトラブルは依然として解消されたわけではなかった。予選は中団に終始し、レースではスチュワートとスペンスが奮闘していくつかのポイントを持ち帰ったが、勝利を得るには至らなかった。そもそもP83は重すぎる重量が足かせとなり、パワーの割にはあまり速くないマシンだったと言える。チームもその弱点をよく理解していたが、エンジンとシャシーの重量を削るのは簡単ではなかった。シーズン半ばには改良型のP115を投入するに至ったBRMだが、間違ったコンセプトのマシンに固執したことでチームは無為に時間を過ごしてしまったのである。



最高位は予選6位、決勝2位の第4戦ベルギーGPで、スチュワートが記録した。この年はP261での得点も含め、合計17点を獲得している。ただしコンストラクターズランキングは20点のホンダとフェラーリに負け、6位でシーズンを終える不本意な結果となってしまった。ニューマシンP115も製作されたのは1台のみで、スペンスは最後まで重たいP83での戦いを強いられていたが、これはH型16気筒マシンをもう開発しないというチームの姿勢の表れだったのだろう。





69年にはP83-8301は売却され、英国内のF5000選手権に参戦していた。エンジンはフォードのスモールブロックである5リッターV8を搭載していた。



P83は3台が製作された。
P83-8301は66年の開幕戦モナコGPで投入され、第3戦フランスGPまでヒルのスペアカーだった。第7戦イタリアGPから最終戦メキシコGPまでもスペアカーとなっている。
67年はレース・オブ・チャンピオンズでスペンスが使用した。その後はレッグ・パーネルに貸与され、第7戦ドイツGPと第8戦カナダGPでアーウィン車だった。
69年には売却され、英国内のF5000レースで使用されている。

P83-8302は66年の第2戦ベルギーGPでスペアカーとして投入され、第3戦フランスGPにも持ち込まれた。第7戦イタリアGPから最終戦メキシコGPまではヒル車となっている。
67年は開幕戦南アフリカGPでスペンス車となり、スプリング・トロフィーから第4戦ベルギーGPまでスペンスが使用した。第5戦フランスGPと第6戦イギリスGPではレッグ・パーネルに貸与されアーウィンが使用している。その後スチュワート車となった第8戦カナダGPを除いて、第7戦ドイツGPから最終戦メキシコGPまでスペンス車だった。

P83-8303は66年の第7戦イタリアGPで投入され、最終戦メキシコGPまでスチュワート車だった。
67年は開幕戦南アフリカGPから第4戦ベルギーGPまでスチュワート車となり、第5戦フランスGPと第6戦イギリスGPでスペンス車となった。第8戦カナダGPではスチュワートが使用し、第9戦イタリアGPではスチュワートのスペアカーになっている。第10戦アメリカGPと最終戦メキシコGPはアーウィン車だった。

14/02/01 画像差し替え
14/03/21 修正
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  1. 2014/02/01(土) 03:44:12|
  2. F1マシン
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