誰得

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

AGS JH25B

AGS JH25B

90年はテッド・ラピダスをスポンサーに得て、またファクトリーの移転や人材の強化も図って新たなスタートを切ろうとしたオートモービルズ・ゴンファロネーゼ・スポルティーブ:AGSであったが、新車JH25の投入の甲斐なく、ポイント獲得は果たせずにシーズンを終えた。JH25はそれまでのマシンに比べれば良くなっていたが、成績に関してはチームの能力もあってか劇的な向上が見られたわけではなかった。とはいえ後半戦に得た順位から、91年の予備予選を免除されることが決まったのはチームにとって良いことだった。
ショーモンの町長職に就き、AGSチームを手中に収めていたシリル・ド・ルーブルだったが、彼はこの時までに、チームに対して1800万ドルもの資金を費やしていた。この資金の出所は彼が父から引き継いだ事業やグループ会社の70社を売却したことによるものであり、結果が出ないまま消えていく多くの資金的負担は彼の望むものではなかった。身銭を切ることを拒んだド・ルーブルは、チームに対する出資を取りやめることとした。さらにチームには多額の負債があったが、ド・ルーブルはどうにか資金を費やさずにチームの運営しようとしていたようである。同じ頃チームの出資者であったエスポを失い打撃を受けていたフランスのチームであるラルースとAGSが合併するという噂も流れた。ド・ルーブルは実際にラルースチームのオーナーであるジェラール・ラルースと会談を持ったが、ユーグ・ド・ショーナックに替わってマネージャーに就任したアンリ・コチンはこの合併話には反対で、合併に前向きだったド・ルーブルとの関係が悪化した。結局のところ合併の話は実現せずに流れてラルース側がとばっちりを食ったのであるが、それはまた別の話である。コチンはスポンサーを探し続けたがその努力は実らず、AGSは負債を抱えたまま悪い状況を脱しようと足掻いていた。


AGS JH25B_16

マシンのデザインを担当するミシェル・コスタは91年に向けてニューマシンJH26の設計を進めていたが、チームが資金供給を絶たれた状況では開幕戦からの新車投入も無理なことであり、チームは仕方なく91年もJH25に改良を加えて引き続き使用することを決めた。前年途中に加入し空力を担当したピーター・ウィスはモデナチームに移籍してしまったため、チームは新たにマリアーノ・アルペリンを空力担当に指名した。デザインの中心は引き続きコスタが指揮を執る。
91年用のJH25Bは新たな規定に合わせてフロントウィングの幅を短縮して対応した。ノーズコーンは若干だが幅が狭くされたようだ。厳しい状況ながらもチームは横置きの6速マニュアルギアボックスを新たに開発し、一応トレンドに沿ったパーツを装備しようと努力してはいた。またサスペンションのセッティングを変更している。だがそれ以外にマシンの空力面はほとんど手を加えられておらず、苦しい中で最小限の改修を施しただけに過ぎない。
エンジンは前年使用した、ハイニ・マーダーが供給とメンテナンスを担当するフォード・コスワースDFR 90を搭載した。


AGS JH25B_3

ドライバーはガブリエレ・タルキーニが残留したが、ヤニック・ダルマスがスポーツカー選手権に参戦するためチームを去った。新たにシートを得たのは前年オニクスからエントリーしたが、チーム所有者の移転によって開幕2戦でシートを失っていたステファン・ヨハンソンだった。チームは当初資金の豊富なアンドレア・デ・チェザリスと契約しようと考えていたが、デ・チェザリスはジョーダンのシートに収まったため、AGSは欠場による罰金を回避するべく急遽ヨハンソンと契約したものである。彼はスポンサーを持ち込んでいなかった。
スポンサーはテッド・ラピダスが離れたため、ほぼノースポンサーの状況に陥る。カラーリングは前年の黒とは対照的な白ベースに紺色の模様が入るものとなった。エントラント名はチームAGS。


AGS JH25B_4

開幕戦アメリカGP。ヨハンソンは29位で予選落ちに終わるが、タルキーニが22位で予選を突破する。レースは8位で無事に完走し、AGSはシーズン開幕戦で幸先のいいスタートを切った。


AGS JH25B_5

第2戦ブラジルGP。ヨハンソンは開幕戦に続いて28位で予選落ち。一方タルキーニが踏ん張って24位で予選通過を果たしたものの、レースではオープニングラップにスピンしてリタイヤ。

ブラジルGPを終えた後、チームは破綻寸前の状態にあった。チームスタッフに対する賃金の支払いもなされず、ド・ルーブルがショーモン町の予算を流用して未払い金を支払ったという噂まで流れる始末だった。コスタの手によるニューマシンJH26のデザインは完了し風洞モデルも公開されていたが、同様にこれを完成させる資金などあるはずもなかった。おそらくチームとしてもスポンサーを獲得するためのアピールとしてこの車の模型を発表したと思われるが、AGSに手を差し伸べてくれるスポンサーは皆無だった。こうなればもはやチームを解散して撤退する他無かったのだが、ド・ルーブルはチーム株式を売却することにした。かくしてAGSを手に入れたのは、元BMSスクーデリア・イタリアのマネージャーで国際F3000選手権にクリプトン・エンジニアリングを率いて参戦していたパトリツィオ・カントゥと、ツーリングカーでビガッツィチームを走らせていた実業家のガブリエレ・ラファネリのイタリア人連合だった。彼らはチームを掌握すると、クリプトンに在籍していたクリスチャン・ヴァンダープレインをテクニカルディレクターに据えた。彼は前年コローニチームに在籍していたが、91年用マシンのC4を手がけた後にチームを離脱しクリプトンに移籍していた。だが結局、ヴァンダープレインは再び古巣のチームに戻ってきたことになる。これによってマシンのデザインを担当していたコスタは解雇された。こうして新生AGSはヴァンダープレインが主導しニューマシンの開発を行うこととなった。またマネージャーのコチンはド・ルーブルと関係が悪化したことと、この売却に伴いチームを去った。後任にはカントゥが就任している。スポンサーを持ち込まないヨハンソンは直ちに解雇され、クリプトンに所属していたファブリツィオ・バルバッツァが新たにシートを得た。


AGS JH25B_6

チームが新体制となった第3戦サンマリノGP。予選はタルキーニが27位、バルバッツァ28位で揃って予選落ちと厳しい結果に終わる。それまでスポンサーをしていたフォレもついに離れてしまった。替わって新たに、パオロ・フィオーリとブラーゴがスポンサーについている。


AGS JH25B_7

第4戦モナコGP。JH25Bはエギゾーストが新型のものになった。バルバッツァは28位で予選落ちに終わるが、タルキーニはマシンの差が小さくなるこの難コースを果敢に攻めて予選20位を得た。レースも結果が期待されたが、9周目にギアボックスが壊れて無念のリタイヤ。


AGS JH25B_8

第5戦カナダGP。ブラーゴはスポットの契約だったのかロゴが剥がされている。予選はバルバッツァが27位、タルキーニ28位で2台とも予選落ちに終わった。


AGS JH25B_9

チームの地元となる第7戦フランスGP。このレースを前にド・ルーブルは手持ちの株式の残り全てをラファネリとカントゥに売却してAGSの経営からは完全に手を引いた。イタリア人連合の新たな首脳陣はヴァンダープレインとマリオ・トレンティーノに新車のデザインをさせていたがこの車はいまだに出来上がらず、ひとまずはイメージを刷新するためマシンとドライバーのレーシングスーツのカラーリングを新たにすることとした。紺色と水色はAGS誕生の地であるプロヴァンス地方の空の色を、赤と黄色は地中海の征服者を表したものだという。だがそれ以外に何かマシンにアップデートがあったわけではなく、デザインチームはニューマシンの開発に勤しんでいた。
予選はバルバッツァが28位、タルキーニが29位で揃って予選落ち。JH25Bはほとんどアップデートが無く、シーズンが進むにつれて戦闘力は下降の一途をたどった。


AGS JH25B_10

第8戦イギリスGP。バルバッツァが29位、タルキーニ30位でAGSの2台は予選落ちに終わる。この瞬間、シーズン後半の予備予選参加義務が課せられることが決定した。こうしてAGSは、あの地獄に再び引きずり込まれてしまったのだった。


AGS JH25B_11

第9戦ドイツGP。バルバッツァは下から二番目の33位で予備予選落ち。タルキーニは予備予選を2位タイムで突破して気を吐いたが、予選でエンジントラブルに見舞われてしまい29位で予選落ちに終わる。


AGS JH25B_12

第10戦ハンガリーGP。タルキーニ、バルバッツァともにそれぞれ31位と33位で予備予選落ちに終わる。チームはJH27の投入に向けて全力を傾けており、JH25Bにはもう戦闘力は無かった。


AGS JH25B_13

第11戦ベルギーGP。バルバッツァは最下位、タルキーニも32位で両者とも予備予選落ちに終わる。


第12戦イタリアGPで、AGSはようやく新車JH27を投入することができた。ただしそれはメカニック達が3日連続の徹夜をして予備予選の朝にようやく組み上がった1台のみで、バルバッツァは相変わらずJH25Bを使用する他無かった。続くポルトガルGPではようやく2台目のJH27も投入できたため、JH25Bはレースカーとしての役目を終えている。


AGS JH25B_14

苦しい状況の中でタルキーニは特に健闘し、予備予選落ちを免れていた序盤のレースでは何度か予選を突破していたが、結果を出せたのは開幕戦のみで、その後はトラブルやアクシデントがその苦労を無為にしてしまった。ヨハンソンはチームのパフォーマンスに何ら寄与する事なく解雇され、新たに加入したバルバッツァは新人で経験不足だった。


AGS JH25B_15

経営陣の再編などで混乱する状況の中、資金不足のチームはニューマシンJH27に期待を掛けて開発を進めていたが、それ故に旧型のJH25Bは改良が施されることはほとんど無かった。資金不足からの悪循環は新たな悪い状況を呼び寄せ、AGSチームの現場は予備予選で苦しみながら新車の登場を待ち続けていたのである。


AGS JH25B_2

予選最高位は第4戦モナコGPでの20位、決勝最高位は唯一の完走となった開幕戦アメリカGPでの8位で、いずれもタルキーニによるものだった。


AGS JH25B_17

AGSがF1を撤退した後、チーム創設者のアンリ・ジュリアンは残されたマシンを元手に体験搭乗サービスを始めた。95年頃にはJH25Bも使用されていたようである。スポンサーのロゴは剥がされ、替わりにAGSのチームロゴが大きく入れられている。


AGS JH25B_18

その後は体験搭乗にも使われなくなり、JH25Bはファクトリーで展示されていた。カラーリングは体験搭乗を主催するAGSフォーミュラの銀/赤/黒に塗られている。


AGS JH25B_19

展示されていた1台と同じ個体かは不明だがJH25Bは現在はレストアが行われ、白い前期のカラーが1台と後期の青いカラーが1台の2台の現存が確認されている。



JH25Bは3台がJH25から改修された。
JH25B-040はJH25-040から改修され、開幕戦アメリカGPでスペアカーとして投入された。第5戦カナダGPから第11戦ベルギーGPまではタルキーニ車だった。第12戦イタリアGPから第14戦スペインGPまではスペアカーとなっている。

JH25B-042はJH25-042から改修され、開幕戦アメリカGPでヨハンソン車として投入された。第3戦サンマリノGPから第12戦イタリアGPまではバルバッツァ車だった。

JH25B-043はJH25-043から改修され、開幕戦アメリカGPでタルキーニ車として投入された。第5戦カナダGPから第11戦ベルギーGPまではスペアカーとなっている。
スポンサーサイト
  1. 2016/07/24(日) 01:30:28|
  2. F1マシン
  3. | コメント:9
<<AGS JH26 | ホーム | AGS JH25>>

コメント

最初にまぐれでもポイント取って…スポンサー掴まえないと、立ち行かないんですね…会社が残っているだけ、ましですか…
ショーナックさんは…この年、下請けしたマツダ787Bがル・マンにラッキーで勝って~クビが繋がりましたね!今でもスポーツカーで生き残ってますね。
ヨハンソン…ビッグチャンスの糸口は掴むけど…結果に繋がらない…当時のオートスポーツやレーシングオンでも「不幸数珠繋ぎ」なドライバー扱いでしたな(^_^;)
同じく不遇三羽烏のワーウィックさんは~ソレでもスポーツカーでチャンピオン!チーバーさんは分裂インディ500優勝と、それなりに記録に残りましたが、ヨハンソンさんは…チームもドライバーも、巡り合わせを掴まないと駄目なんですね…
  1. 2016/07/24(日) 13:21:44 |
  2. URL |
  3. 1418gr5 #ZdfQhLTQ
  4. [ 編集 ]

相変わらずですね><

更新お疲れ様です(´▽`)

チーム存続に向けて色々と手は打ってるんですけどねぇ、お金はないけど新車を走らせるとかやってるんですけどねぇ・・・結果につながりませんねぇ(-_-;)

最後は新しいスポンサーがついたわけでもないのにカラーリングを変更しているんですね。

なんだか、万策尽きつつあるなぁ・・・と感じてしまいます。
  1. 2016/07/24(日) 14:17:53 |
  2. URL |
  3. ぽこぽこ #-
  4. [ 編集 ]

カラーリング変更は

更新お疲れ様で~す。ヽ(´▽`)/

スポンサーなしでも前半戦のカラーリングが良かったと思うのは私だけでしょうか?
しかし、ブラバムといい、シーズン途中のカラーリング変更ってのはロクな事が起きないって言う例ですかね?

確か撤退後のAGSの体験乗車の会社の主力はJH24とJH25だったのをどこかで読んだ気がします。コースレコードはダルマスだったとか・・・。

  1. 2016/07/24(日) 18:43:37 |
  2. URL |
  3. Dr.Strangelove #-
  4. [ 編集 ]

AGSの末期はケータリングの料金すら支払えずマクドナルドで済ませるような状況だったから
いかに資金不足だったかがうかがえる
  1. 2016/07/25(月) 09:09:26 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

JH25Bですが、開幕からBと明記していたのはグランプリ特集だけでした。
一番参考になるAUTOCOURSEはフランスGPからJH25Bで、
それ以外のメディアは概ねこれに準じています。
そういうことから開幕時はBでないと今まで判断していたのですが、
フランスGPでもアップデートされた形跡はなく、
横置きギアボックスなど開幕から装備していることから
このブログでは開幕からBだったということにします。
  1. 2016/07/31(日) 12:13:38 |
  2. URL |
  3. Bou_CK #Y17400wE
  4. [ 編集 ]

1418gr5さん

開幕からヨーロッパラウンドまでが勝負ですよね笑

>ショーナック
マツダチームの運営にも関わってたんですね。
今年もルマンで元気にしてました。

>ヨハンソン
せっかくトップチーム乗っても、イマイチでしたね。
91年はAGS解雇からのフットワーク起用で完全にトドメ刺された感じで…。
  1. 2016/07/31(日) 12:16:00 |
  2. URL |
  3. Bou_CK #Y17400wE
  4. [ 編集 ]

ぽこぽこさん

金が無いなりに手を加えてはいるんですが、やはり
金が無いのでだめという。

>最後は新しいスポンサーがついたわけでもないのにカラーリングを変更しているんですね。
チーム株式が完全に売却されたので一新したみたいですね。
  1. 2016/07/31(日) 12:25:15 |
  2. URL |
  3. Bou_CK #Y17400wE
  4. [ 編集 ]

Dr.Strangeloveさん

>スポンサーなしでも前半戦のカラーリングが良かったと思うのは私だけでしょうか?
自分もそう思います笑
まあこのチームの場合はカラーリング変えるまでもなく
開幕からどうしようもない状況ですが…。

>コースレコードはダルマスだったとか・・・。
これは何かで聞いたことあるような覚えがあります。
  1. 2016/07/31(日) 12:28:20 |
  2. URL |
  3. Bou_CK #Y17400wE
  4. [ 編集 ]

名無しの人さん

>マクドナルド
有名な話ですよね笑
資金供給止められたチームがどれだけ予算削ってレースに
やってきたかがわかりますが、ド・ルーブルもまだ金を出そうと
思えば出せたんじゃないかと思うんですよね。
ブラジルがどうだったかはわかりませんが、株式が売却された
サンマリノGPからは状況も改善されたのではないかと思われます。
  1. 2016/07/31(日) 12:32:31 |
  2. URL |
  3. Bou_CK #Y17400wE
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Bou_CK

Author:Bou_CK
歴史に残らないレーシングカー(主にF1)のマニア

最新記事

カテゴリ

ここは何 (1)
F1マシン (354)
F1マシン目次 (1)
F1:資料的な何か (30)
F1:メモ書き (4)
タスマン・シリーズ (9)
F5000マシン (3)
F2マシン (2)
F3000マシン (1)
その他マシン (15)
アルファロメオ179 (1)
F1 (2)
イベント (13)
未分類 (7)
(131)

最新コメント

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。