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スカラブLR6

Scarab LR6

デンマーク貴族とアメリカ実業家の令嬢との間に生まれたランス・リヴェントロウは、裕福な生まれからスポーツに熱中し様々な活動をしていた。やがてリヴェントロウは自動車に興味を向けるようになり、友人らとスカラブの名を冠したスポーツカーを製作してレース活動を大いに楽しんでいた。彼の家はとても裕福で、若干20歳の若者であるにもかかわらず、リヴェントロウは次々にマシンを製作してはレースに参加して名を広めていった。それもしばらくするとリヴェントロウはアメリカだけでなく、もっと別の世界でも戦いを挑もうと思うようになった。それまでのスポーツカーでの成功から、リヴェントロウはヨーロッパにおいても同様にスカラブのマシンが成功を収めると確信していた。彼は58年の終わりに所有していたスカラブのスポーツカーを全て売り払った後、F1世界選手権への参戦を決めたのである。アメリカで育ったリヴェントロウは、全てをアメリカで製作したマシンが勝利を収めることを望んだ。


Scarab LR6_2

スカラブがF1参戦にあたって送り出したマシンがLR6である。LR6のデザインはチームマネージャーのワーレン・オルセンが起用した、若干23歳の航空機デザイナーであったマーシャル・ウィットフィールドがシャシーを手がけ、エミール・ディートが音頭を取ってディック・トラウトマンとディック・バーンズが製作を担当した。車体のカウリングに関してはチャック・ペリーがデザインを担当した。
車体は鋼管によるスペースフレームで構成されており、フロントにエンジンを配置するFR駆動のマシンである。コクピット後方には大型の燃料タンクを配置する点も、ごくオーソドックスなF1マシンのそれである。シャシーはすぐに設計を完了したが、今度はドラムブレーキの設計で躓いた。それなりの時間と金を費やしてなかなかモノにならないブレーキを見かねて、リヴェントロウはガーリングのディスクブレーキを採用することにしたが、これは全てをアメリカで製作した「オールアメリカン」なマシンでの参戦を望む彼からすれば苦渋の決断だったに違いない。ガーリングのディスクブレーキを採用したことで、オールアメリカの前提は既に崩れてしまっていた。


Scarab LR6_3

エンジンは北米ではインディカーやミジェットカーなどで一般的に使用されていたオッフェンハウザーの直列4気筒エンジンをベースに、オッフェンハウザーエンジンのチューナーでその権利を引き受けたメイヤー-ドレークエンジニアリングのレオ・グーセンが新たに設計した、スカラブ・オッフェンハウザーF1エンジンを搭載した。オールアルミ製の軽量なブロックに、シリンダーヘッドにはデスモドロミックを採用してバルブスプリングを廃した。グーセンはメルセデスW196のこの機構に感銘を受け、クライスラーの博物館に展示されていたW196のそれを参考にスカラブF1エンジンに採り入れたものである。排気量は規定の上限となる2.5リッターで出力はおよそ220HPを発揮するが、この時代の標準的なエンジンであるコベントリー・クライマックスFPFよりもパワーは低かった。フェラーリやBRMなどは280HP近くも出しており、戦力的にはかなり厳しかった。ギアボックスは当初の構想ではオートマチックを積む計画もあったが、結局はボルグワーナー製の4速マニュアルに落ち着いた。


Scarab LR6_4

ドライバーはチームオーナーのリヴェントロウと、彼の友人でスカラブのマシンを駆ったチャック・ダイの布陣である。エントラント名はリヴェントロウ・オートモービルズ。


Scarab LR6_5

第2戦モナコGPがスカラブのデビューとなった。皮肉なことに彼らのピットの隣にはクーパーがいたが、このモナコでスカラブは現実を突きつけられた。彼らのマシンはフォーミュラ・ジュニアよりも遅く、予選落ち最上位だったマステン・グレゴリーのクーパーより5秒以上も遅かったのである。


Scarab LR6_6

あまりの惨状にチームはスターリング・モスにLR6でのドライブを依頼し、これは受け入れられた。はたしてプラクティスでLR6を実際にドライブしたモスは「パワーはそれなりにあるがパワーバンドが狭くモナコでは不適、マシンの安定性にも欠ける」と評した。彼のタイムはダイの出したそれよりも2秒も速かったが、それでもグレゴリーのタイムには及んでいなかった。リヴェントロウは最下位、ダイも23位と他車に対して全く歯が立たなかった。こうしてスカラブのデビュー戦は全車予選落ちに終わったのである。

第3戦アメリカGPはインディアナポリスでの開催であり、名目上の選手権戦だったに過ぎない。第4戦オランダGPが次のレースとなった。プラクティスを走ったリヴェントロウとダイだったが、エントリーフィーで揉めた挙句に主催者と交渉が決裂し、スカラブはレースを走らずに撤退した。


Scarab LR6_7

第5戦ベルギーGP。ダイはエンジンが不調でタイムが伸びず17位と予選最下位。リヴェントロウはアラン・ステイシーのロータスこそ上回ったが、クーパーなどミドシップ勢には全く歯が立たず15番手だった。レースはリヴェントロウが僅か1周したところでエンジントラブルによりリタイヤ。ダイもフューエルインジェクションのトラブルで16周してレースを終えた。

第6戦フランスGP。リヴェントロウは自信を喪失していた。少なくともシーズンが始まる前はチームがこのような状況に陥るとは彼は思っていなかっただろう。この状況にリヴェントロウの意欲は失われ、彼はフェラーリからスポット参戦してF1デビューしていたアメリカ人のリッチー・ギンサーを自身の代役として起用することとした。だが不幸なことにここでもエンジントラブルが起こり、ダイとギンサーは予選を走れずレースを終えてしまったのだった。


Scarab LR6_8

その後のレースを全て欠場し迎えた最終戦のアメリカGP。スカラブの地元であるこのレースでそれまでのような醜態をさらすわけには行かず、チームはLR6にさらなる軽量化とエンジン周りの改良を施した。だがF1レーサーとして地元を走ることをリヴェントロウは望まず、レースにエントリーしたのはダイの1台のみだった。改良の成果か予選で18位を得たダイは10位で完走し、スカラブは初の完走を果たすことが出来た。


Scarab LR6_9

ウィットフィールドはF1マシンはおろかレーシングカーの何たるかを知らず、経験が浅いままに独力でデザインを仕上げたことでLR6の戦闘力を欠く一因となった。またエンジンもそのパワーが劣っており、何よりも悪かったのはそのタイミングだった。既にイギリスのクーパーがミドシップのマシンを開発して投入していたが、その軽快さは高い戦闘力を示して前年のチャンピオンを獲得していた
。60年もやはりクーパーが強く、スカラブは最新のトレンドを研究するべきだったのである。だがLR6は従来の、そして北米で開催されていたインディカーレースでは一般的だったフロントエンジンというレイアウトを採ってしまった。それだけでなく最悪なことに、FIAは60年シーズン中に翌年からのエンジンの規定を2.5リッターから1.5リッターに変更すると突然通達したのである。これでスカラブの2.5リッターエンジンは使えなくなってしまった。リヴェントロウはエディ・ミラーを迎え入れてミドシップのシャシーを設計することを命じたが、先行きは不透明なままだった。60年は完走1回の順位によりコンストラクターズランキングは9位とに終わる。最高位は予選18位、決勝10位で、ともに最終戦アメリカGPのダイが記録したものであった。




61年、F1はエンジンが2.5リッターの排気量から1.5リッターへと縮小されることが決まり、いくつかのチームの反発を招いたが移行はなされてしまった。当初は反発していた各チームも規定変更を受け入れてレースは進められていったが、ランス・リヴェントロウ率いるスカラブはF1の世界にはついに現れなかったのである。だが彼らがレース活動をしないでいたのかというと、そうではなかった。
新規定に反発したイギリス系チームを中心に、イギリス国内でのレースでインターコンチネンタル・シリーズというシリーズが企画されたが、最終的にF1チームの多くは新規定を受け入れたにもかかわらず、このシリーズは開催が決定していた。スカラブはこれにエントリーしたのである。


Scarab LR6_10

グッドウッドで開催されたラヴァント・カップ。スカラブ・オッフェンハウザーエンジンはレオ・グーセンの手で2.9リッターに排気量が拡大され、インターコンチネンタルシリーズの規定上限である3リッターに近づけられた。予選は9台中トップのブルース・マクラーレンが駆るクーパーT53からは9秒も遅い8番手タイムで、下から2番目だった。とはいえスカラブ以外全てのマシンはミドシップであり、ドライバーもスターリング・モス、グラハム・ヒル、トニー・ブルックス、ダン・ガーニー、ジョン・サーティースなどそうそうたる顔ぶれの中ではとても勝ち目はなかった。ダイは1周遅れの8位でレースを終える。

その後シルバーストンのレースのアクシデントでLR6-GP2は全損してしまい、ドライバーのダイも負傷した。これによりスカラブのレース活動も終了となり、チームは全てを引き揚げアメリカへと去っていったのだった。ファクトリーではミドシップのニューマシンの製作が進んでいたが、リヴェントロウのモチベーションは明らかに低下していた。



Scarab LR6_11

スカラブが活動を終えてから20年以上を経た80年代中頃、LR6を再製作するプロジェクトが立ち上がり、ディック・トラウトマンらかつてのリヴェントロウ・オートモービルズのメンバーが集まり、当時の図面を元に部品から作り直して1台を復元するに至った。画像はその再製作されたシャシーで、当時の図面と寸分違わず製作された4号車と呼べるマシンである。その過程でダイは図面を見て、エンジンのバルブ周りの組み立て精度を図面の指示より高めてみた。その結果スカラブ・オッフェンハウザーエンジンは現役時代を大きく上回る265HPを発揮したという。だがこの時もう、スカラブの全ては遠い過去の話となっていたのである。



LR6は3台とレプリカが1台の合計4台が製作された。
LR6-GP1は60年の第2戦モナコGPで投入され、最終戦アメリカGPまでダイ車だった。
LR6-GP2は60年の第2戦モナコGPで投入され、第5戦ベルギーGPまでリヴェントロウ車だった。第6戦フランスGPはギンサーが使用し、最終戦アメリカGPはスペアカーだったと思われる。
61年はインターコンチネンタルシリーズでダイが使用したが、シルバーストンのレースで大破してレースを退いた。その後80年代にLR6再製作と同時に修復されている。
LR6-GP3はスペアのシャシーで完成しなかった。長らく展示用としてドニントン・コレクションに収蔵されていたが、09年に売却された際にオッフェンハウザーエンジンを搭載しランニングコンディションにレストアされた。
LR6-GP2’は80年代中頃の再製作プロジェクトで製作された。
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  1. 2016/10/29(土) 17:46:56|
  2. F1マシン
  3. | コメント:8
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コメント

これまた全く存じなかったコンストラクターでした

スカラブが参戦前に作ってたスカラブMK-1から余計なもんを取っ払ったらほぼ同じような形に見えますね
当時はこれが標準だったとはいえ、コクピットすぐ脇にリアタイヤがあるのは違和感あります

インターコンチネンタルシリーズ撤退後は再度スポーツカー製作に復帰、そのベースは未完成に終わったミドシップフォーミュラのモノだったと

最終的に36歳という若さで飛行機事故で死亡とか、波乱万丈ですねぇ
  1. 2016/10/29(土) 18:45:17 |
  2. URL |
  3. 乙tus107 #-
  4. [ 編集 ]

乙tus107さん

スカラブって名前が知れてる割には戦績見ると完走1回で1シーズンのみ参戦、
F1ではマイナーなのが何だかわかります。
ブルーメタリックで綺麗なんですけどねえ…。

>当時はこれが標準だったとはいえ、コクピットすぐ脇にリアタイヤがあるのは違和感あります
FR駆動のF1マシンとしては最後のマシンでした(61年のファーガソンは四駆)。
マセラティ250Fも走ってますが開発年次で見ると最後発はスカラブですね。

>最終的に36歳という若さで飛行機事故で死亡とか、波乱万丈ですねぇ
小説に出てくるみたいな生い立ちの人物ですよね。
故に伝説の人になったんだと思いますけど。
  1. 2016/10/29(土) 19:33:43 |
  2. URL |
  3. Bou_CK #Y17400wE
  4. [ 編集 ]

スポーツカーからと言うと。

スポーツカーからと言うと、80年代だとザクスピードやユーロブルンみたいですね。
そのまま行っていれば良いのにF1に挑戦してどうにもならなくなる・・・って言うなら素人考えだと止めとけばってなるのでしょうが、それだとこう言ったロマンも無いのでしょうね。

それでも、最後のFRマシンですか。車体は格好良いですね。それでも、何かが足りなかったので、格好良いだけのマシンになったのでしょうかね?
  1. 2016/10/30(日) 19:41:19 |
  2. URL |
  3. Dr.Strangelove #-
  4. [ 編集 ]

モデルカーズのアメリカのオールドキット紹介頁では常連ですが…こんな車だったのですね…
所謂「横倒し直四~ドライブシャフトオフセットのロードスター」ですかね?オーバルトラックでは有効なラインも、ヨーロッパでは…
航空機エンジニア設計マシン…ロビンハードは上手く転身したんですね…
フェルギエリも、例のATSの造反が無ければ、ボーイングあたりに履歴書送っていたそうですし。
  1. 2016/10/30(日) 20:32:52 |
  2. URL |
  3. 1418gr5 #ZdfQhLTQ
  4. [ 編集 ]

(´▽`)

更新お疲れ様です(´▽`)

クーパーのミッドシップが走っているシーズンにこのレイアウトは厳しいですね><

ですが・・・この車はカッコイイですね(´▽`)
  1. 2016/11/07(月) 07:54:24 |
  2. URL |
  3. ぽこぽこ #-
  4. [ 編集 ]

Dr.Strangeloveさん

まあ、当事者たちはそこまで悪い結果になると考えてないんでしょうけど笑

>それでも、何かが足りなかったので、格好良いだけのマシンになったのでしょうかね?
経験0のデザイナーが初めて作ったマシンが速かったら
それはえらいことだと思いますけどね…。
シャシーもまずいしエンジンは詰めが甘かったんでしょう。
  1. 2016/11/12(土) 09:34:06 |
  2. URL |
  3. Bou_CK #Y17400wE
  4. [ 編集 ]

1418gr5さん

>所謂「横倒し直四~ドライブシャフトオフセットのロードスター」ですかね?オーバルトラックでは有効なラインも、ヨーロッパでは…
FRレイアウトに低く構えた平たいボンネット、狭いトレッドは
まさしくインディロードスターのそれに範を取ったものと思われます。
ヨーロッパの丸みを帯びたF1マシンとは明らかに毛色が違ってて面白いんですが…。

>航空機エンジニア設計マシン
まあ、みんながみんな上手く行くわけないですよね笑
  1. 2016/11/12(土) 09:38:17 |
  2. URL |
  3. Bou_CK #Y17400wE
  4. [ 編集 ]

ぽこぽこさん

スカラブかっこいいんですけどねえ…生まれてくるのが
あと一年早ければ、もう少し違っていたかもしれない。
  1. 2016/11/12(土) 09:40:57 |
  2. URL |
  3. Bou_CK #Y17400wE
  4. [ 編集 ]

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